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高橋信次先生講演
Lecture

中道について(1)

人間の正しい規準は中道という自然の条理にあります。ところが、殆どの人はこの条理がわからないために、真実を知らずに苦悩の中にあえいでいます。

本来、信仰とは、己の心の調和をはかり、心の曇りを取り除くことです。

心の調和は、中道という自然の条理を生活の中に活かすことによって得られるもので、神の光は、そうした努力に比例して与えられてくるものです。

ところがどうでしょう。現代の信仰はその殆どが他力となり、人は労せずして神の光にすがろうとしています。

人間は生かされていると同時に、生きている生命体です。労せずして神の光を得ようとしても、それは人間の本性が許さないし、神の光も与えられるわけはないのです。

 

例えば、観音力について言うと、中国の天台といわれる方が、病める人々を救った林蔣という人の功績を称えて、いわゆる観音経の中に褒めて書いたものが始まりです。

それがいつの間にか日本に伝わってきた時には、観音様を拝めば救われるんだと変わってしまい、他力信仰が生まれてしまった。

観音力のことを観自在菩薩とも言います。観自在とは文字通り、過去・現在・未来を見通すことの出来る悟られた方という意味です。

 

インドの当時、心の悟りの段階を、最初はシャーミー、サマナー、次はサロモン、アラハン、ボサター、プッタと分けていました。その中のボサター(菩薩)でも、ある段階にゆくと自由自在にあらゆる諸現象を見ることの出来る悟られた方々がいるので、普通はその観自在ということが解せないために、観音菩薩を拝むことが信仰だと思い込んでしまったのです。

観世音菩薩の観音力は、まず自分自身の心が調和されて、中道に生活行為が一致していなかったならば、これを理解することは出来ないでしょう。

 

過日、高野山の研修会でもお話ししましたが、実際人間というものは、肉体を持ってこの地上界へ出ますと魂の修行を忘れ、不調和な諸現象を自らが作り、自らが苦しみの奴隷の虜になり、その心を魔にゆだねてしまう。その魔に打ち勝つことが出来ないから、不動明王、大黒天等の諸天善神が全部協力して悟れるように導いてくれるのが、密教だという風になっているようです。 ところが、密教は本当の仏教ではないのです。密教はもともとバラモン、ヨギストラー等がミックスされて中国に渡り、それから日本に来る間に仏教と一緒になってしまったのです。真言宗では真言を唱えれば良いのだと言う。

 

曩莫三曼多縛日羅赦不動明王、あるいは唵阿盧力迦娑訶と呼ぶことによって救われるというのが真言宗のようです。自分の心を真っ黒にして行いもせずにいくら唱文しても、救われるはずはありません。しかし、あの世へ通じることは通じますよ。あの世へ私たちが、例えば、唵毎憺 野娑縛賀と言ったら、向こうからフワーッと来ます。来るけれどもその人に能力がなかったら何にもならないでしょう。

 

例えば、私たちが今、強盗あるいは暴力団に囲まれたとします。お巡りさんを呼んだところで、お巡りさんが来てくれなければどうにもならないわけです。これと同じで、真言という言葉で救われると思ったらとんでもないことです、 密教を秘密の教えと言ってますが、仏教には秘密なんかありません。仏教の般若心経の中に蜜多という言葉が出て来ますが、この蜜多と密教の密とは大違いなのです。ですから、文字の上からも密教は仏教ではないのです。

 

仏教の出発点は

人間はなぜ生まれ

なぜ老化するか

なぜ病気になるか

なぜ死んでゆくのか

つまり、一切の苦しみの原因はしょせん生老病死であり、この四つの苦しみからまず超えることから始まっているのです。生まれなければ五体を持たないから五欲煩悩に心が支配されない。生まれるから苦しみが生ずるのだし、さらに生まれたから年もとる。生まれなければ病気もないだろうし、無常の風がひと吹き吹けば、この肉体は地上界へ置いていかなければならない。ところが、この肉体がいつの間にか仏教でも肉体こそが己なりとなってしまったのです。

皆さまがもし我々の神理を伝道する場合は、人間とは色心不二なんだよと、この色心不二ということをよく説明してあげることが大事ではないでしょうか。

 

(次号へ続く)

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