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時の言葉
Word at time

2019年12月 反省と調和

あの世とこの世のちがいは、この世の執着の有無にあるといえよう。本来、人の魂は生き通しの永遠の生命であり、思うことが現れる自由と創造の世界だけである。人の魂が肉体という乗り舟に乗ると、肉体にまつわる執着に心がとらわれ、その執着心が魂を汚し、心の眼をふさいでしまう。

 

人の魂が、出生と同時に、盲目同然となるのは、周囲の状況、人の心の在り方が肉中心の生活に流されているためであり、幼い心もそれに染まり、盲目となってゆくからである。もし人びとの心が魂の永遠を知り、執着の重荷を悟るようになり、さまざまな習慣、思想、環境、教育がそうした方向に向けられるようになると、幼い心はそれに眼をひらき、盲目の人生を歩まないで済むようになろう。

 

子どもの心は白紙であり、赤にも青にも染まってゆく。染めてゆく者は、ほかならぬ両親の生き方であり、大人たちの考えや行動にある。日和見の親には日和見の子ができようし、愚痴の家庭には不満分子を育てよう。子が親に似るのは、親の生き方を子が真似るからだ。

 

こうしたさまざまな執着は、やがて人びとのカルマをつくり、肉体を脱ぎ去っても容易に離れることがない。苦しみはあの世にいってからもつづく。その苦痛はこの世よりひどいものだ。なぜかというと、肉体があると肉体の環境が心の負担を軽くし、いっときまぎらわしてくれるからだ。たとえば、心配ごとがあって夜寝られないとする。すると、睡眠薬が心を眠らせる役を果たしてくれよう。また、あることに心が執着し苦しくなっても、環境が変わり視界が変わると、心の負担を忘れることができるではないか。こうしたことは根本的な心の転換にはならないが、しかし心を替える療法には役立つであろう。

 

ところが、肉体のない心の世界は、心だけがすべてであり、肉体の習慣、執着を持ち込めば、その波動の渦のなかに自己を置くことになり、肉体の便法を借りたくても借りることができない。腹痛で苦しみながら死後の世界に入れば、その腹痛の苦しみがついてまわる。肉体のない自己を発見するまでその苦しみはつづく。肉体の苦しみ、心の悩みは、ほかならぬ肉の身を通しての執着の現れであり、これがあるうちは人の生命はすこやかに生きられないし、死後の世界は執着の分量に応じて厳しいものとなろう。

 

また、自己を愛するごとく人をいかに愛したか。これもまた、死後の世界の生き方を決めてゆこう。

人の生命は肉体の生死にかかわりなく、生き通しの魂である。肉の世界には肉の生き方もあろうが、肉は心の映し世であり、肉のなかにあっても心に影をつくらぬ生き方が大事であろう。

心に影をつくらぬ。つまり執着から遠離する。愛深き自己を悟る。そうするには、生まれてから今日までの想念と行為を洗い直し、執着の原因となるものを取り去ることだ。反省を通して心を軽くすることは、肉体をも軽くし、今の生活を安心にし、死後の生活の安らぎにも通じてくる。

 

反省と調和の生活を忘れてはならない。

 

(一九七六年十月掲載分)

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