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高橋信次先生講演
Lecture

転生輪廻について(3)

(前号より)

 

人間というものは、あの世からこの地上界に出てくる時には誰も皆神の子として、広く、豊かな、丸い、大きな心で生まれてきたのであります。あの世では、銭の勘定なんて全く関係ありません。日本の一万円札を持って行ってもあの世では通用しません。いわんや、ドルを持って行っても〝ドウ〟にもなりません。そして、人間の地位や名誉や経済、家柄も同じく、あの世では一つも通用しません。金持ちに生まれたからといってその人が特別にあの世から金・銀・銅を持ってきたのならいざ知らず、同じ〝きん〟でも違うはずです。人間は真っ裸で生まれてきているのです。死ぬ時も同じです。

 

我々は、丸い心の環境の中にいつの間にか自己保存というものが育ってきて、心の中に歪みを作り、人生に疑問を持ち始めます。その結果、神様があるのではなかろうか、ひとつ他力でもやってみようか、或いは拝んでみようかというところへ到達します。それは全て、皆さまが神の子として悟るための一つの環境なのです。

 

そういう環境を我々は無駄にして、おかしな信仰に盲信し、自分をますます泥沼の中へ突っ込んでしまうのです。信仰というものはそんなものではありません。皆さまは、その丸い心を更に豊かにすると共に、神の身体である大宇宙の中の細胞のほんの小さな部分にしか過ぎないこの地球という場を、万物の霊長として、心と心の調和のとれた平和なユートピアにするということが、生まれてきた目的と使命であることを知らなければなりません。

 

それを、歴史はいつの間にか、先祖代々これは俺の国だ、これは俺の土地だと言って、勝手に占拠してしまいました。占拠したところであの世に帰る時は何も持ってはいけないのです。それどころか、もしそれに執着を持ってしまえば、その場所は地獄界です。よく、世の中に墓相というものがあって、お墓を造る時はこういうお墓が良いんだとか、お墓の石塔の頭が欠けていると先祖がこうで、残されている者はこうなるんだとか、いろいろなことを言う人がおります。

 

ところが、実は(金)もあるのです。なぜならば、執着を持っている人たちはその場所を地獄界とするからです。長い歴史の中の習慣というものは恐ろしいものです。あの世へ帰っても、正しいという心の規準がないために、そういう世界で生活して地獄界を展開しております。我々は度々お墓へ行きますと、地獄に堕ちた霊たちが墓を持ったまま〝救ってください〟と手を出している者や、首から上を出している者や、足を半分出している者たちがたくさんいるのを何度も見ています。

 

それらは皆、自分自身の心に執着を持って、この世に対する去り難い心がそのような世界を展開しているのです。お寺とか神社とか仏閣に執着を持って死んでいった人は、大体が間違いなく地獄界です。本来は、次元の違った調和された世界に帰るのが本当の姿でありますのに、恨み、妬み、謗り、自分さえ良ければよい、或いは自己保存、自我我欲という不調和な想念と行為によって、自らの手で偉大なる神の光を遮り、広く、豊かな、丸い、大きな心を歪にし、多くの苦しみをつくってしまうからです。 あの世の世界は、その人の心に比例した光の世界です。下の方の低次元の人々は、上の光の世界に行くことは出来ません。もし、イエス・キリストやモーゼたちが地獄界へ行ったら、太陽と同じです。光で輝いて見ることが出来ません。皆さまの中にも、心の窓が開かれている人たちが出てまいりますと、その姿をはっきりと確認することが出来ます。

 

あの世とこの世は〝ア〟と〝コ〟の違いで、裏表です。遠いようで近いものです。いつでも行ける世界です。我々はこうして次元の違った世界から各々の深い縁によって、お父さんお母さんを選んで出てきているのに、親不孝をし、不調和な諸現象をつくって苦しんでいる人たちがいっぱいおります。

そして、金持ちや貧乏人、こういうものは実はあの世では関係ありません。貧乏の中に生まれた人たちは〝よし、私は今度は最も厳しい貧乏人の中に生まれて、その中で自分自身を悟って多くの人々を救ってこよう〟そう思って出てきている人たちがほとんどなのです。ところが生まれてしまうと、親を恨んだり世間を恨んだりして、自分自身の心まで貧しくしてしまいます。こういう姿であってはならないのです。

 

反対に、経済的環境に恵まれた人たちは自分自身を優雅に装い、そして人々に対しても優越感を持って自分自身を誇張します。実はこれが苦しみなのです。ですから、過去世において王様だの貴族の生活をして地獄に落ち込んだ連中は、絶対に貧乏人に生まれてきます。今度は厳しい環境の中で自分自身を悟ろうとして出てくるのですが、またその苦しみの中で失敗してしまいます。

 

ですから、人間の作った制度の中の地位や名誉があるからその人が偉いのではありません。本当の人格とは、経済をはじめ全ての執着から離れて人々のために心から尽くせる、豊かな丸い広い心の人たちこそ、真の偉大なる人格者です。我々はこういうことをしっかり考えたならば、人それぞれ自らの環境の中で、自分自身がより広い、より豊かな心を持って人々のために尽くし、そして自分自身に驕ることなく執着から離れた日々の生活をした時に、人間は皆神の子だということを発見するのです。それは、決してお経など読んで悟れるものではないのです。

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