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時の言葉
Word at time

2020年06月 調和と妥協

私たちがこの世で生きていく上に、さまざまな心理的な苦悩なり喜びがある。つまり、調和か妥協か、あるいは自分の意を通そうとして空中分解する者も出てくるであろう。

そこで今日はひとつ、調和と妥協の是非について、あらためて見直し、正法を生かす上に、どのようにして人間関係をみつめ、魂の進化に役立てるかについて、簡単にふれてみたいと思う。

 

調和と妥協を天秤にかけると、調和とは双方の比重が同じ重さにバランスされ、均衡を保っている状態を指すものと思うし、妥協はそのどちらかに比重がかかり、重さがアンバランスされている状態と考えられる。調和は、おのおのが譲り合った心に抵抗のない、そして仮にあったとしても重さが平均化され、共通の立場に常に立つことを言うであろうし、妥協は、その重さの分だけ、いつかは一方に返さなければならないことを意味していよう。

もう少し具体的に言うと、妥協は、若い頃は夫や家族に追随してきた妻が、年をとるにしたがって、心の中に詰め込んだ重荷を外に吐き出すことによって、夫や家族に激しく当たり、家の中を暗くしてゆく性質を持っている。最近は、妻の立場が強くなり、男のワンマンの弊害が少なくなったが、しかし、今度は双方が言いたいことを言い、調和も妥協すらもないわがままが、一方通行のかたちで激しく通り過ぎていくようである。妥協は心理的には我慢が伴い、苦しみとなって、その人を責める。

妥協の全然ない生活が望ましいが、現実は、なかなかそうはいかない。というのは物事は相対的であって、調和も妥協もその中でしか発生しないからである。したがって、ある時は理解できず、ある時は不満が心に残り、またある時は怒りに揺れよう。問題はそうしたときに、いつまでも妥協の気持ちを心に残すか、残さぬかにかかってくる。

妥協が重荷をかかえ、苦しみを持続させるとそれがいつかは爆発し、争いになるであろう。人間生活の賢い生き方は、妥協すべきときは妥協すべきだ。だがその妥協をいつまでも心の中に持ち込まず、それを材料に自分の心の調和に持って行くべきである。相手と調和されれば理想だが、物事によってはそうはいかない。人相が違うようにその考え方も十人十色であるからだ。

 

そこで、物事の成り立ち、不満の原因、怒りの理由を平静にながめ、相手を許せる愛の心、調和に昇華させることである。

調和は主観的には忍辱という柱が基本になるが、理想は、たがいに譲り合える共通の心にある。だが、実際には忍辱というかたちになるであろうし、その忍辱も、妥協の気持ちを材料に進化させれば、妥協の重荷は調和に変わっていくであろう。

 

(一九七六年四月掲載分)

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