閉じる
時の言葉
Word at time

2016年05月 他力の誤り

仏教もキリスト教も、そしてその他の宗教も、そのほとんどが他力である。他力信仰は今や全世界を覆っている。二千五百有余年前の釈迦は今日のこの事態を予言し、正法は末法と化していると言ったのは、物質に翻弄された人類の姿はもとより、信仰の在り方が偽善と化し、真実が不明になってしまうことを知っていたからである。 仏教はインドよりチベットを通過し、中国に渡り、我が国に伝わった。伝教大師が我が国に天台宗を定着させた頃まではまだ正法は生きていた。ところがその後、仏教の中から念仏行が生まれた。法然による念仏の他力信仰がそれである。それまでの仏教はほんの一部の貴族階級しかこれを受け入れる余地がなかった。中国渡来の経文を理解するには、書に親しむ者でなければ到底近づき得なかったからである。このため、当時の時代的背景と文盲の民衆を救うには、他力の念仏は人々の渇いた心に慈雨を与えたことは想像にかたくない。仏教を広める意味では法然の念仏行は、確かに意義はあったと言えよう。だがしかし、他力では人間を救うことはできないのである。なぜかというと、人間の業はそれほど安直にはできていないからである。 他力の狙いは「信」にある。念仏はその信を得るための媒体であろう。信が強まれば行為もそれにつれて動いてゆくものと見られがちだが、信だけでは人間の業を変えることはできないのである。人間の心を変えるものは「理解と行為」なのである。ウソの言えない調和された己の心にしたがって、その毎日の生活の理解を深め、行為を通して、初めて人は安心の境涯に至るのである。したがって、理解のない信心、行為のない信仰というものは、内在する過去世において体験した神の子としての己の心の叫びを、その悪い業によって覆い隠し、ウソの上塗りを重ねて行くのみである。人前では善を気取り、一人になってホッとするという善と悪の二面性をますます身に付けてゆく。日蓮は念仏無間地獄と言った。念仏を唱えながら人を平気で殺め、念仏さえしておれば何をしても救われるといった誤った考えがはびこったからであろう。戦乱の世の衆生を救うために難しい仏教哲学を一般に理解させることが困難であったために阿弥陀浄土の存在を念仏によって教えざるを得なかったのであろう。 他力は、悪い業との妥協である。業の是認に結びついてゆく。戦場に牧師がついてゆく。他宗教を倒すための戦争が二十世紀の今日でもなお続いている。この事実を見ても、人間の業の根深さを知らねばならない。人間は他力では決して救われることはない。神の子の己の心を信じた、そして、その心を生かした毎日の生活こそ安心への道であることを知ってほしい。 (一九七二年五月掲載分)

高橋信次先生ご講演DVD 注文書

高橋信次先生のご講演DVDを販売いたしております。
「詳細はこちら」のボタンよりPDFを開いて頂き、
必要事項を記入の上FAXにて送信下さい。

高橋信次先生ご講演CD 注文書

高橋信次先生を関西本部に御招待した1971年10月の初回講演からの関西本部でのご講演をCD集として今後まとめてまいります。
「詳細はこちら」のボタンよりPDFを開いて頂き、必要事項を記入の上FAXにて送信下さい。