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時の言葉
Word at time

2017年02月 助力

正法は自力である。なぜなら、人間は神の子であり、原因・結果の因縁因果は、すべて自分の想念と行為にあるからである。因縁因果を超えるには、善念を起こし、勇気と努力をもって自分を変えていくしかない。守護霊の助力はそうしたときに働き、私たちを導いてくれる。 最近ややもすると、こうした自力の精神を忘れ、いたずらに固有の天使の名を呼び助力を求める傾向があるのは遺憾である。もちろん、天使の名を心に思い求めれば手を貸し与えてくれることもあろうが、しかし、それによって奇跡が起こり急場をしのいだとしても、病気の原因を根本的に改めないかぎり、また同じような、あるいは違った形で病をつくり出していくだろう。 自身を省みることなく、固有の天使の助力を求めることは、それはとりもなおさず他力の所業であり、他力はやがて欲望充足の道具と化してしまう。このことは、自身を守っている守護霊をいたずらに口にする場合も同じことである。 ただ、守護霊の場合はその人を専任で守護し指導しているので、純然たる指導霊ないしは天使とは趣が異なる。したがって、なにかあった場合、助力を求めたいときは守護霊の名なり祈願文を唱えるなりして助力を求め、決して固有の天使の名を口にしてはならないのである。 ユダヤ教のヤハウェー(エホバとも言う)も、このことを再三注意している。注意の趣旨は、自身を省みることなく、いたずらに助力を求める傾向が強くなると、信仰自体が他力と化してしまうからである。 また、天使も地上の人びとが求めれば、他の重要な仕事をおいてもその声に耳をかさねばならなくなり、それが時には、より多数の人々を犠牲にしなければならないことも起きてくるからだ。それだけに、自分の都合のみを願って固有の天使の名を口にしてはならないのである。 人の心は一つにつながっている。そのつながりは自身の守護霊であり、ついでその守護霊の近しい友人、先輩なりの指導霊であり、さらにそれにつながる天使の指導霊、そうして大指導霊とつながる。こうして人の心は、光の子として、すべて一つにたばねられている。それゆえ、助力を求める手順は、まず自身の守護霊であり、守護霊が経験不足の場合は、守護霊から指導霊なり天使なりに連絡される。そうして、本人が知らない間に(自覚している者もあろう)、指導霊なり天使の助力が行われ、それが時として奇跡となって現れたり、智慧の涌現として、その人を助けるようになる。しかし、こうした助力というものは、日頃の本人が努力しているか、誠実、真実であるかどうかによって、大いに変わってくる。つまり、指導霊の助力の根底にあるものは、他力ではなく自力の精神であるからだ。他力の生き方は、本来の人間性を否定し、神の子の創造力を曇らせる。神は、自分を愛する者を愛し、自己の神性を否定する者を拒否する。人は神の子であり、自分を愛せない者は神を否定し、人を愛することができないからだ。この意味において、いたずらに現実の現象、奇跡のみに心をとらわれ、自らを省みない行為は、厳に慎んでもらいたいものである。(一九七六年七月掲載分)

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