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時の言葉
Word at time

2017年03月 諸行無常

この言葉は暗い韻律を秘めているような印象を与えているが、とんでもないことである。仏教にしろ、釈迦の名が我が国の一般民衆の間に知られるようになったのは、たかだか一五〇年ぐらいの歴史しか経ていないようである。そうした中で平家物語にこの言葉が引用され、民衆に馴染まれたために、事実そのような響きを与えてしまったようである。 諸行とは大宇宙を含めた物質世界の生活行為を指す。そうしてその生活行為は瞬々刻々変化変滅をくり返している。常なき状態である。生ある者は一刻といえども止まることを知らず、常に変化し、動いている。 諸行は無常なのである。 諸行無常を解釈すると、現象界の姿をそのまま伝えた言葉のように受け取れる。 ところが、この言葉には重大な意味が秘められている。それは神の意思である。生命の実態だ。形あるものは生命の実相を通して存在し、絶え間ない変化の過程を通って生き続ける。変化の形は変わっても生命それ自体の意味は永遠に変わることなき生き通しの我である。 生者必滅の姿はあっても、魂の永遠性は不動である。諸行は無常であるから生命は生き永らえる。諸行が無常でなく有常なれば、物質世界は滅びるしかない。有常とは生活行為の停止を意味する。生死は動であるが、生のみがあって死のない世界は生命のない停止の世界なのだ。あの世とこの世があって魂の輪廻があるから、この世に生死があり、絶え間ない動的な生命の永遠性があるのである。 無常は進化を約束する。 大変難しくなったが、私たちは現象の動きに心をとらわれてはならない。生き通しの自分を失わぬことだ。現象界の動きに心が奪われ執着すると、その執着の分量だけ自分の心を傷つける。地獄に苦しむ諸霊はその全部が現象界に心を奪われた人たちなのだ。現象界は魂修行の場である。魂進化の大切な場所なのだ。その無常の場を有常の場に置き換えようとするから苦しみをつくる。 私たちの住む世界はめまぐるしく変化している。自己保存と足ることを知らぬ欲望の渦といってよい。しかし、私たちはこうした渦を恐れてはならぬ。一日一日無常の真意を忘れず、不動の心で過ごすなら、神は祝福と安らぎを与えてくれるだろう。 恐れず、惑わず、正法を心の中に打ち立てよ。(一九七四年二月掲載分)

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