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今月の課題
This Month's Problem

2016年06月

本部長 岸田 守

正法は万古不変であり、いくら年月を経ようとも、いつでも新しく、私たちを導いてくれます。原点に戻って学びを深めていくために、今月は、平成六年六月号に掲載された、岸田本部長ご指導の要旨を再掲載させていただきます。 井上靖の小説『夜の声』に、「同じ人間なのに、人生の乗車券は特等から十等ぐらいまである」という言葉がありました。また俗にも、「上見りゃキリない下見りゃキリない」と云いますが、これは地位や名誉や財産に重点をおいた境遇をいうのでしょう。 しかし私達の現在の境遇は、この人生の目的と使命を果たすために最も適当だと思う条件のところを自らが選び、守護・指導霊をはじめ諸仏諸天・光の天使の祝福を受けた生活環境であるはずです。だから、この世的な自己顕示欲や物質的な充足をよしとする見方・考え方をすれば、人生の乗車券は確かに特等から十等までぐらいあるのかも知れません。 神理正法を学び、心こそが本当の自分であり、肉体はその心の乗り舟にすぎないということを知った私たちは、この世的な喜怒哀楽・欲望充足を求める人生では何処まで行っても安心立命はない、心の安らぎを得ることは出来ないのだ、ということは百も承知のはずなのに、それがカルマなのでしょうか、心にしみついた業なのでしょうか、無意識のうちに欲望充足の道を歩いているのが私たちではないでしょうか。 人間釈迦の第一部『偉大なる悟り』に、 ……神の子としての人間が、現象界において何故(なにゆえ)に悪をつくり出したか、不幸をどうして生み出したか。 それは肉体の自分が自分であると思うようになり、肉体にまつわる諸々(もろもろ)の考え方が、本来自由自在の心を、肉体の中に閉じこめてしまったためにほかならない。…… という記述があり。 また、……神は調和という中道の中で厳然と生命の火を燃やしている。人間がその自由の権限をみだりに使い、中道に反した創造行為をすれば、その分量だけ反作用を伴うように仕組んでいるのである。そうすることによって、神と人間の絆(きずな)が保たれ、調和という永遠の目標に向かうように計画されている。人間の魂が肉体に宿ると五官にふりまわされる。五官とは、眼・耳・鼻・舌・身の五つである。この五官に、魂意識が幻惑される。美しいものを見ると欲しいと思う。気持ちのよい香りには心がひかれる。自分の都合のよい話には、つい乗ってしまう。舌ざわりのよい物は食べすぎてしまう。苦役より楽な方に身を置きたい。肉体五官はこのように人の心を動かして行く。 五官が働かなければ肉体維持は難しくなる。さりとて、五官に心を奪われると欲望がつのってくる。欲望の源は五官にふりまわされる心の動きにあったわけである。諸々の欲望・争い・不調和・悪の根源は、五官に心を奪われる六根という煩悩にあった。 さまざまな不幸、肉体にまつわるこうした心の動き、カルパー(業)の想念行為によって生み出されて行った。 業は執着である。執着は五官から生ずる肉体的想念が、魂に根を張ることによって作り出されて行く。地位・名誉・金・情欲、その他さまざまな欲望が、人間の神性仏性を侵して行く。…… と説かれている通りです。 そして、これは正法の専門書ではありません。高橋信次先生が一般読者を対象に、誰でも理解しやすいように書かれた著書ですし、講演会やビデオでも再三お聞きになった内容と、表現は違っても内容は全く同じでしょう。だから、こういうお話を聞かれたり月刊誌を読まれると、ああそうそうとか、確かにそう聞いたとか、知っている解っていると、大半の方はおっしゃるでしょう。 しかし、この記述の中にある「中道に反した創造行為」とは、たとえばどういう行為でしょう。「具体的な例をあげて下さい。」と質問したとするでしょう、積極的に答えてくれる人はほとんどありません。それは、大体こういうことだろうと、イメージとしては漠然とは思ってはいるが、はっきりと答えるだけの自信がないということなのでしょう。 自信とは、自分を信じることです。欲性(偽我)の自分をよしとするのは自負(じふ)ですが、神の子の本来(善我)の自分を信じることです。この誰もが持っている神性仏性の自分を信じることです。それはそのまま神を信じること、大自然の摂理を信じることに通じるはずです。高橋信次先生の『信・行・光』という言魂があるでしょう。信じるとは行うことです。だから、信じてなお行わないのは、信じていないことになるのです。 前述の人間釈迦第一部の第二章に、 ……早くから正法を学び、あれこれと知識として解っていても実践の伴わぬ者は、いつになっても悟ることはできぬ。正法は、信と行との車の両輪のように、まず信じたら行ずる。行ずるとさまざまな問題にぶつかり疑問が生まれる。疑問は、行ずる者には必ず解決されるように仕組まれているのである。 解決されれば理解は一層深まり、信の心は広く深くなってくる。こうして信と行はいよいよその幅をひろげ、安らぎの悟りへと導いてくれるのである。…… とあるように、正法は実践の中に生命が宿るもの、行がなければ修行ではないのです。 世はまさに末法です。こんなことが  と思うような事件や事故が寧日(ねいじつ)なく起きています。それなのに私たちはそれを人ごととして、俗に「平和ボケ」と云われるような放逸の日々を送っているのではないでしょうか。 今月は一つ、以上のことに的をしぼってしっかりと反省してみて下さい。ことわっておきますが、反省は魂の浄化・修行の前進のためにするのですから、反省して心が暗くなるようならその反省は間違いです。反省して悪かったと懴悔し、慚愧(ざんき)して絶対にもう再び犯さないと決定をすれば、想念帯の記録も変わるでしょうし、その心身には天上の光がそそがれるでしょう。 と云っても、何も難しく考える必要ありません。天は自ら助ける者を助くというでしょう。私たちが大宇宙・大自然に呼吸を合わせて、幾つ何十になってもそれなりの目標を持って生きるという姿勢さえあれば、守護霊をはじめ諸仏諸天の加護があるはずです。 折角のご精進を祈ります。

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