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今月の課題
This Month's Problem

2016年08月

本部長 岸田 守

正法は万古不変であり、いくら年月を経ようとも、いつでも新しく、私たちを導いてくれます。原点に戻って学びを深めていくために、今月は、平成六年八月号に掲載された、岸田本部長ご指導の要旨を再掲載させていただきます。 たしか道元禅師だったと思いますが、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり」ということばがありました。 裏返せば、大自然の摂理を体得しようと思えば、一切の我見を捨て、神理の声に耳を傾けることだ……、というような意味でしょうか。 現代人は総(そう)じて自己中心にものごとを考え、ものごとをおしすすめます。自分の思い、自我を善と考えています。その自我はほとんどエゴにつながっている  と云われています。今日まで正法を学び、実践してきた私たちですが、やはりこの例外とは云えないでしょう。 これは向上心、上昇志向の強い人に特に見られる性癖だと云われています。如何にもものの分かった顔をしていても、他を非難してまで自分を売り込もうとする思いが少しでもあれば、心の安らぎは得られません。高橋信次先生が口グセのように云われた「己に厳しく他に寛容に  」というスローガンは、出来るとか出来ないとかではなく、そういうようになりたい、常にそういう心掛けで正法生活に励め……というお教えであって、そうでなければ駄目(だめ)だということではありません。 このスローガン一つとってみても、私たちの理想とするところと現実とは大きく違います、理想通り、理屈通りにならなければ駄目だとすれば、あの親鸞聖人でさえ自ら地獄一定と云ったのですから、私なども当然落第でしょう。 しかし、そうではありません。一〇%の意識で修行する人間だから間違うのが当然です。また間違うから間違ったことが分かるのです。だから神は、反省という特権を与えているのです。皆様は特に意識はしていなくても、常に反省して自分の軌道を修正しながら生活しているのです。しかしその反省は、ほとんど自己保存・現世利益の想いが中心になった反省ですから、俗に云う「勘定合うて金足らん」で、そんなに間違ってはいないつもりでも、迷いは深くなるばかり、という人が多いのでしょう。 しかし、それも修行の過程ですから心配はいりません。その迷いや苦しみが必ずその道を教えてくれるでしょう。だから大事なことは、目の前に出てくる現象に一喜一憂することなく、先生の示して下さった正道を倦(う)まず弛(たゆ)まず一歩一歩、進むことです。 過日の幹部会でも少しお話しましたが、私たちはこの世の修行を了えたら(死んだら)誰彼の別なく、みんな必ず収容所へ行きます。そしてその収容所で、自分が今世生まれてから死ぬまでの想ったり行ったりした一切を反省するのです。先生は想念帯をさらけ出して、全てが立体モーションピクチャーで目の前に映し出される、とおっしゃいました。 また、その映し出された自分の姿をまともに見ていられる人はいない、みんな例外なく顔を覆(おお)ってしまう  、とも聞きました。 荒削りでもいいから、この収容所での反省に準ずる一生の反省をするのが本当の反省です。私も何度かした経験がありますが、『人間釈迦・第一部』の出家と反省(一三四頁)の、 ……ゴーダマは、過ぎし日をふりかえってみると、自分が歩いてきたその想念と行為は、自己保存のエゴしか見当らないことを知ったのであった。そうして、心の遍歴について、中道という仏法(正法)の照明を当てていくと、至るところ、黒雲が渦をまき、正法に適う行為のすくなさに唖然とするのであった。父や義母にたいする態度、部下との競争意識、動物愛護にしても、そのほとんどが独りよがりであったり、自己主張の表われであった。これまで六年間の山中の修行にしても、一日も早く悟りたいという自己の欲望が先に立ち、外見にとらわれたみせかけの修行であった。悟りへの重要な過程は、心の内面にたいする反省であり、正法という大自然の摂理に照らしてみて、ものの見方、考え方、とらえ方、そして、それにもとずく行動が、果たして正しいものであるかどうかを、内省することがキメ手になるのであった。そうして、正しくない面が浮彫りにされたならば、二度と再び、同じことをくりかえさないように、想念と行為のうえで表わしていくことであった。 ゴーダマは過去をふりかえり、反省することによって、心の曇りを、一つ一つ払いのけていった。…… という記述を、皆様お読みになったことがあるでしょう。上々段階の大指導霊でさえこうなのですから、私たちの心の曇りはおして知るべきではないでしょうか。 しかし、私はここで、その心の曇りや間違いを犯した想念行為の多寡を云々するつもりはありません。 論語にも「過ちて改めざる、是れを過ちと云う」人間であるかぎりあやまちのないものはない。だが、本当のあやまちとは、あやまちと知りながら反省を怠り、なお改めないことだ。とあるように、反省することによって、心の曇りを一つ一つ払いのけていくことが大事なのです。 繰り返しますが、私たちの心の中の想念帯には、生まれてから今日までに想ったこと行ったことの一切、善いことも悪いことも細大もらさず記録されています。先生は、反省して心から悪かったと気付き、二度と再びこれを繰り返さないと決定すれば、赤字の記録が金色に変わる……とおっしゃいましたが、とにかく、どれだけ反省したか、悪かった、間違いだったと気付いたかも、全て記録されているのです。 だとすれば、論語ではありませんが、どれだけ間違いを犯したかということよりも、どれだけその間違いに気付き、反省して、どれだけ改める決定をしたかが大事だということになるでしょう。 だから、この世の修行を了えてあの世天上界に帰る前に、収容所でこの世の一切を清算するときに、生前にどれだけ反省し修正したかが重要になるのです。しかも私たちには、習性・カルマ・因縁を等しくする、或いは似通った沢山の肉体先祖があります。私たちは常々、そのご先祖の方々に報恩感謝の心で供養していますが、特に、来る八月八日は本部講堂に集ってみんなでご先祖の報恩供養を行います。その祈りが、目蓮尊者の故事のように先祖霊の追善になり、或いは回向に、報恩感謝になるように、私たち自身がしっかりと過去を反省して、供養会に参加してほしいのです。どうかこの機会に少しでも多くのご先祖霊に心を向けてご供養に参加されるよう心から祈っています。

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