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高橋信次先生講演
Lecture

心行の言魂(34)

一九七五年九月 著

(前号より) 正しく念ずる(正念=しょうねん) 正しく念じないとはどういうことでしょうか。 正念の反対は邪念です。邪念とは自分の都合だけしか考えない自己本位の想念であり、欲望の想念です。 欲望の想念が激しければ激しいほど、この地上界は混乱してきます。足ることを知らない欲望はたがいに相入れないエゴとなり、エゴは自分本位の我であるから相互協調は非常にむずかしいものとなります。 念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く、心に業をつくります。人びとの心に業が多く生まれると、真実とニセものの区別がわからなくなり、地上界は末法となってゆきます。 思うことは念によって具体的な行為になります。 たとえば、どこどこの学校を受験したいと考える。しかし、自分の実力からしてA学校はむずかしい。ではBにしようか、Cにしようかと思案します。 この段階では、思うこと、考えることが心の中だけの話で、まだ行為にはなっていません。 ところがあれこれ考えた末、Bに決定したとします。すると当人は、Bに向かって進んで行くでしょう。つまり、受験準備という行為が始まるわけです。 念の働きは、B学校に決めた、という意志の決定なのです。 すなわち、念というものは、こうしよう、ああしよう、こうありたい、という目的意識であり、意志の決定であり、行為である、というわけです。 念によって、私たちは、心の中で思うこと、考えることの創造行為を具体的に形に現わしているわけです。 人の思いは、あの世に通じ、人の心にも通じます。しかし、ふつう、人に通じないのは大抵は外に気をとられ、それをキャッチしても、打消すか、忘れるか、仕事に追われているためです。 しかし、思うことを、念を通じて心に強く働きかけますと、相手によっては通ずるものです。怒りや憎しみ、嫉妬の念は、具体的にはキャッチできなくとも、その念を発した人に道などで出会うと、なんとなく敵対視してしまう、というのがそれです。ところが、そうした念波が発せられても、こちらに何もなく、慈愛の心に満ちていると、敵対視の心は湧いてこず、その念を発した人はかえって気まずい思いにかられることになってゆきます。 このように念というものは、具体的な意志決定とそれに伴う行為であると同時に、念そのものの働きによって他に作用を及ぼします。 念はエネルギーであり、心の中の創造行為を形に具象化して行くものです。 また、一度発した念波は、一秒間に地球を七回り半もまわる光以上の速さで自分に返ってきます。つまり、輪廻します。善念は善念として返り、悪念は悪念として、もとの発信者に返ってくるのです。 ですから、常に安心した境涯を毎日の生活の上に望むならば、自分さえよければ外はどうでもという自己保存の念を改め、他を生かす、助け合いの、愛の想念、中道の法を、まず、心の中に確立させることです。 思うこと、念ずることは、万生万物の創造の根源であり、仕事を為し得るエネルギーでありますから、これを正すことがなにをさておいても重要であるといえます。 人の幸、不幸の分かれ目は、心の中の思うこと、念ずることによって決定されてゆきます。 また、想念は、カルマをつくってゆきますから、そのカルマを超えるためにも、左右に片寄らない心の在り方が重要になります。 中道の想念は、慈悲と愛、そうしてそれは調和というバランスがとれた状態をいうわけですが、中道の極致は神の心であり、法でありますから、ここまで人の心が昇華しますと、人は苦労のカルマから本当に解脱することができます。 ところで、ときおり、こういう質問をうけます。 思うことは現われる、念ずるとその通りになるというが、私は金が欲しいと日頃から思い念じているが、さっぱり、金が貯まらない。これはどういうわけか、というのです。 お金が欲しい、金を貯めたいという欲望は大抵の人がそれを思い念じています。念は人によって強弱がありますが、みんなが同じものを念じますと、その念はぶつかり合い、交錯してゆきます。そうして、やがて交錯した念は、強い念に弱い念が吸収され、強く念じた人に集まります。つまり、それを望む念の強いところに金は集まってくることになります。 お金が集まるもう一つの理由は、人にはそれぞれ今生での目的があります。それは本人の今生での意志とは関係なく働きます。今生の目的が経済的問題よりもむしろ人を救うことにあるとすれば、その目的を外れた意志をいくら強くいだいたとしても、お金は集まらないということになります。 こういう意味から念の作用は、その人の今生での目的と合致したときに、もっともよくその効果を表わし、最大に発揮されます。 金が集まらないと愚痴をいう前に、人も欲しがるお金(お金は有限)を集めれば、集めただけその反作用もあるということを考えて下さい。いっときの悦楽を求めることと、長期間にわたる苦悩を考えるならば、もともと一定限度しかない物を奪い合う愚かさに気付くと思います。 一事が万事、何事によらず、このように考えていけば、念の作用はどのようなものであり、念はどのように使えば正しく行使できるかということが、おわかりになったと思います。 (次号に続く)

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