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高橋信次先生講演
Lecture

心行の言魂(35)

一九七五年九月 著

(前号より) 正しく定に入るべし(正定=しょうじょう) 正定とは反省をいいます。 私たちは、自己反省を通して、ものの道理が理解され、同じ間違いの愚かさから解放されてゆきます。 反省こそ、神が人間に与えた慈悲であり、愛の能力といえましょう。動物にも本能・感情はありますが、反省という理性の能力、知性の働きは、人間を置いてほかにはありません。 この意味で、正定の反省は、人間だけに神から与えられた特権であり、その特権を生かしてこそ、進歩があり、無限の調和に向うことができるのです。 反省は、正見、正思、正語、正業、正命、正進、正念の七つの規範について、行います。 中道の尺度を持って、今日一日をふりかえり、ものを正しく見たか、思ったか、語ったか、働いたか、生活したか、念じたか、友をいたわったか、と反省します。 人の個性と業というものは、一見似ているようだが、ちがうのです。しかし、その個性と業というものが、日常生活の上に非常に大きく影響しており、したがって、その個性と業のちがいを、まず発見する努力、そして反省をしてみたいものです。 それにはまず、ずっとさかのぼって、一才から十才、十才から二十才、二十才から三十才、三十才から四十才、というように、年代別に自己反省をしてゆきますと、自分の業はどのようなものであり、全体の中での自分の在り方、自分の役割が明らかになると思います。個性というのは、ここでは、人それぞれの持ち味、特性、そうして、ここから生ずるその人の人格、役割を指します。 年代別に反省をしていきますと、人それぞれの性格が、大体、三才頃から十才ぐらいまでに、ほぼ形づくられていることに気付きます。 たとえば、仮に、短気の性格があって、人を傷つけ、対人関係、仕事上の関係、家庭の関係の中で気まずい思いをし、それが原因で、折角のチャンスをにがしてしまうという場合も、短気の性格をつくった年代は大体、この頃が多いのです。 末っ子で育ち、周囲からチヤホヤされると、知らぬ間に我儘(わがまま)が身につきます。自分の主張は家庭では大抵通ってきたとしますと、さて、成人して社会に出ると、社会は家庭とはちがい、そうそう思い通りには運びません。自分の希望が適えられなくなれば、心の中は平安ではありません。子供の頃の我儘は、最初は身近な家庭で爆発し、家の中でどなったり、夫婦ゲンカになったりします。うっせきした気分は、こんどは対人関係や仕事上の関係まで発展してゆきます。 こうみてきますと、短気の性格は、自分の我が思うように通らないときに起こるものであり、それは子供の頃のチヤホヤ育てられた我儘の生活に原因があった、ということです。 もちろん、人によって、その短気の性格が二十代、三十代につくられる場合もあります。両親に早く死に別れ、子供の頃に非常に苦労する。あるいは家が貧しいために苦労する。二十代、三十代でその苦労が実を結び、やること、為すことが図に当ってきますと、人のやることがまどろっこしく、ついどなり散らしてしまいます。若いうちに苦労した中小企業のワンマン経営者にこういうタイプが多いのです。原因は、二十代、三十代にありますが、しかし、これでも反省をして行きますと、小さいときの苦しみが身につき、人をそねみ、うらみ、憎しみの心が内在しており、成人してから、それが短気という形で変化して出る場合があるからです。 苦労して成功した人は、人を信じないことが多いのです。家庭の愛情生活が不足していますから、どうしても孤独になり、自分の意見を押しつけたり、短気という性格になりやすいのです。 このように、短気という性格一つとっても、人それぞれの原因は異なりますが、年代的に見るとたいていは、子供の頃につくられ、成人するにつれ、さまざまに枝葉となって変化していることに気付きます。 業というものは、自分自身にとっても、人にとってもプラスになる面が少なく、いわゆるその人の欠点、短所という形で現われています。 業は、もともと執着の想念であり、それは家庭の環境、教育、思想、習慣、友人などの影響をうけて、つくられてゆきます。 食べ物一つとっても、業となり、その人の性格を形づくってゆきます。 たとえば、肉食は血液を酸性にし、寿命をちぢめる原因をつくる。だから、植物性のものしか食べないとしますと、世間の見方、人の見方、そうしてものの価値判断が、自分でも気づかぬうちに偏見を持つようになります。つまり、これは良い、これは悪い、というように、物事を簡単に割り切り、断定するようになって行きます。 良い、悪いの判断は大事なことですが、それが自分だけの浅い経験を土台にしている場合、自分には当てはまっても、人には当てはまらないという場合が多いものです。 イエス・キリストは、肉類も結構食べたし、酒も強かったようです。 釈迦も、食べ物にこだわらず、出された物は何でも食べたものです。 食べ物は何でも食べよといっても、現在、病気の人、肉体的に欠陥がある場合は食生活を規制しなければなりませんので、そういう人の場合は別です。 いずれにせよ、人の性格、業というものは、私たちの生活環境によって、知らぬ間につくられます。その中でしか自分を見出すことができないとすれば、魂の前進はあまりはかばかしくゆかないでしょう。 また、業というものは、常に輪廻しており、短気という性格は、ふだんは出なくとも、その場面に会うと、つい出てしまうという性質を持っています。つまり、短気の輪廻です。 そこで、反省し、その原因をつきとめたならば、勇気と努力と知恵をつかって、二度、三度と同じ事を繰り返すことがないようにして行くことです。 (次号に続く)

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