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高橋信次先生講演
Lecture

心行の言魂(42)

一九七五年九月 著

(前号より) これは、各人が信ずる信じないにかかわらず、人間の生命目的というものが、そのようにつくられており、いたしかたのないところなのです。人間は、大地という生活環境が与えられ、太陽という熱・光の変わりないエネルギーの供給によって生かされていることを考えるならば、そこに、大自然の、神の、偉大な慈悲と愛ということを感じないわけにはゆかないと思います。 私たちは、大自然の生命に調和し、神の心を心とした慈悲と愛に生きることの意義が、これまでの説明によって、大体おわかりになったと思うのですが、なお人間の価値というものが、価値判断というものが、なにを基準に、なにを標準に定めるべきかを説明いたしましょう。 まず価値の概念について考えますと、ものに値打ちがあるのは、効用があるからです。金の値打ちは、金があれば、なんでも自分の欲しいものが買えるからです。ロビンソン・クルーソーのように、絶海の孤島の独り暮らしでは、何億の財宝も、なんの意味も、価値もありません。 このように、価値というものは、効用があると同時に、相対的なものです。 人間の値打ちというものも、この意味では相対的です。悪い人がいるから悪くない人がよく見える。善人だけだと、善人がわからない、ともいえます。 近頃では、人間的にどうあれ、金、地位、名誉、あるいは才能がある人は、善い人、偉い人にみえるようです。 「……なんだかんだといっても、あいつは大した男だ」 ということを、よく耳にします。 人間の評価を単純に、それは間違いであるということをうすうす感じながらも、運、不運で片づけてしまうようです。 価値の性質はこのように相対的でありますが、同時にそのときどきの時代背景によって、その価値観はくるくると変わります。仇打ちは昔は美談でした。今では犯罪です。親のためにには子供は売春をしいられても仕方ありませんでしたが、現代は子供にも主権が認められています。このように、価値観にも流行があるようです。 価値にもはやりすたりがあり、現代はまさしくそうした時代であるといえましょう。 しかし、価値の普遍性、安定性を望むのは、人間である以上誰しも求めるところではないでしょうか。価値がくるくる変わるということは、人間の心が不安定で、物に動じやすいからです。人間の歴史が心を中心として回転せずに、五官にふりまわされ、知と意という、いわばうわべの人生しか見ていないために起こる現象ではないでしょうか。 才能のある者には、奇行や不自然な言動があっても、人は黙認します。地位やお金があると、偉い人に仕立てあげてしまう。文明文化は進んできましたが、人間の心が不安定ですから、常に、不安と焦燥(しょうそう)のなかであえいでいます。公害にしろ、過当競争にしろ、人間の心が不在で、知と意が先行しているために起こっている現象です。 このため、こうした現象を防ぐには、どうすればよいか。心の安定、心の認識、そうして、価値の確立ということを人類はもう一度、その原点に戻って考えてみる必要があると思います。 貨幣価値が年々下落するとすれば、なまじの貯金では、それに追いつきません。五年前の百万円が、今は五十万円に下がっては、貯金の張り合いも、働く意欲も阻害されましょう。 やはり、生活してゆくからには、価値の絶対性、安定性を望むのは、人間として当然のことだろうと思います。 人間の心、人間の価値づけについてもそうなのです。外面的、相対的な理由だけで、価値判断をすることのおろかさに、私たちは、長い人生経験のうちに、何度か直面していると思います。 (次号に続く)

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