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高橋信次先生講演
Lecture

心行の言魂(44)

一九七五年九月 著

(前号より) 神仏は存在します。存在しないと見るのは心を正しく見る事が出来ない人のいうことです。心は素直に、正しくみることができれば、そうして、その心で正しい想念と行為に努めるならば、神仏は誰彼の差別なく、その前に現われます。神仏は決して沈黙を守ってはおりません。神仏をして沈黙させる原因を人間がつくっているために、沈黙せざるを得ないのです。 三昧の境涯は、人が心を取り戻したとき、すなわち、神仏の心と己の心が調和されたときに、心の安らぎという、無限のひびきを持って私たちをつつんでくれるのです。 人間がいくら騒いでも、わめいても、この地上から一歩も外に出ることはできません。宇宙船に乗って地球から離れられたとしても、大宇宙の外には出られません。所詮、人間はこの大宇宙のなかの地球というこの環境のなかで生活してゆかなければならないようにできています。 ということは、大自然の胸中で生かされ、生きてゆかなければならないものであるということなのです。どんなに威張ってみても、力んでみても、人間と自然というものは切っても切れない絆で結ばれています。 そうだとすれば、私たち人間は大自然の法という正法にそった生き方しかできないということを悟らざるを得ないと思います。 大宇宙大自然は正法を忠実に守っており、人間も小宇宙でありますから、人間も正法を忠実に守らざるを得ないのです。はっきりいって、人間は、そのまま正法なのです。だから小宇宙なのです。人間が小宇宙ということは単なる観念や願いではありません。心をまるく大きくすれば、太陽も、地球も、あたかも宇宙船に乗ってみるように、否(いな)それ以上の広く高い立場から、客観的に、その存在を知ることができます。 人間の肉体にしても、心臓からはき出された血液が人体をくまなく循環し、再び心臓に舞い戻り、そうした過程をくりかえすことによって、人体そのものを維持しています。丁度、地球が太陽の周囲を三百六十五日と四分の一めぐり来たって、再び春夏秋冬をくりかえすことによって地上の生命が育まれ、太陽系の一員である地球の役目を果たしているのと同じです。 このように、心の面からみても、肉体諸器官の機能一つみても、人間は大宇宙の機能と同じようにつくられています。すなわち、人間は、大自然という正法にそった生き方をしていることがおわかりと思います。 正法の根本は中道であり、中道の極点は調和という神仏の心です。 それには一切の執着から離れ、あるいは離れる努力から正法に適う生き方が生まれてくるわけです。 迷いは執着から生まれます。悟りはその執着から離れた心です。 心の安らぎは、こうした執着から離れた分量に応じて、生じてきます。 三昧の境涯は、こうした執着から離れることによって、生まれてくるのです。 真の三昧は衆生済度を目的とした如来の心を指していいます。如来の心はすべてを見通します。地上天国がいつ完成するか、地球人類はやがてどういう風に前進してゆくか、人びとの苦悩がいつ晴れるか、そうしたことを見越して現在をどう処してゆくかを、熟知しています。したがって執着にとらわれることがありません。絶対の安心と、無限の智慧を内に秘めながら、人びとを導いてゆきます。 禅定の内容も光明世界に行き来するだけでなく、あの世とこの世で苦しむ人びとに光を与え、その苦悩から救います。 禅定にも第一から第九までの段階があって、第八から第九の禅定は、こうした内容を伴ったものです。人によっては三昧の境地は心が空っぽになり、無に帰一するものとしているが、そんなものではありません。生きた人間と同じように行為している、静中動の姿が禅定の中身であり生活であります。 (次号に続く)

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