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高橋信次先生講演
Lecture

心行の概説(8)

一九七五年九月 著

(前号より)

先祖に対する感謝

 

第六章の祈りは、先祖代々にたいする感謝と供養です。

 

先祖代々の諸霊

我に修行の体をお与え下さいまして

心から感謝します

諸霊の冥福を心から供養致します

 

現在、こうして肉体が与えられ千年に一度、二千年に一度しか出てこられない現象界にあるというのも、もとをただせば先祖のたゆまざる調和への努力の結果です。

したがって、先祖にたいして心から感謝するのは人間として当然の義務であります。

義務とは供養を意味します。

供養とは、調和への行為です。

感謝の心は、調和への行為となって、はじめて循環され、己も、そして先祖の諸霊も神の光をいただくことができます。

この世の人が調和されるとあの世の人も調和されます。

あの世の人はあの世の環境に安住しがちであり、向上は容易でありません。

これは自分が住んでいる下位の世界は見ることができても、上位の世界をのぞくことができないからです。

 

そこで先祖の諸霊は、時おり子孫の家庭を見に来ます。

その時、家庭内が争いや不調和に満ちていますと、地獄霊の場合は、自分のおかれている環境が苦しいために、家庭人に憑依し、苦しみからのがれようとします。

すると、その家庭内はいっそう不調和になります。

家庭が調和されておれば、おかれている環境、想念に疑問を持ち反省するようになります。

 

一方、高級霊の場合は、家庭が不調和ですとその家庭を守りたくても守りようがなく、反対に自分より調和されておれば、その家庭から反省の材料を得ることになり、その家庭を守りやすくなってますますその家庭は調和されることになります。

先祖の供養とは、感謝の心が祈りとなって調和の心が行為されたときに、はじめて実を結ぶものであります。

 

神仏との対話へ

 

祈願文に書かれている一章から六章までの意味は、これで一応おわかりいただいたことと思います。

 

祈りというものは、感謝であり、行為である。

祈りというものは、天と地をつなぐかけ橋である。

祈りというものは、神仏との対話である。

神仏との対話とは、各人の守護霊・指導霊との対話であり、守護霊・指導霊はあの世の天使の導きをうけており、天使は神の意を体していますので、守護霊・指導霊の導きは、そのまま神の導きであるといってもいいのです。

ただいい得ることは、各人の心の調和度によって、その対話の内容もかわってくるということは否めません。

このため、その毎日の生活の中で、正法に適った反省と努力、忍耐と献身、人間としての義務を果たしてゆくことが望まれます。

そうして、こうした生活の積み重ねが、やがて自分自身の品性を高め、神仏との対話にまで向上してゆくのであります。

祈りについて気をつけることは、人間はややもすれば、祈ることによって他力的になってゆくということです。

祈りが他力にかわったとき、その祈りは祈りとしての意味をなさなくなってきます。

勿論、祈りは、守護・指導霊の力を借りることにはちがいありません。

 

しかし正法の祈りは、神の子の自覚にもとづいた祈り心で行為するというのが、祈りの真意なのです。

他力は行為を棚上げして、神仏の力にすがってゆくものです。

人間凡夫という前提で  。

この点を間違えますと、大変です。

色心不二という言葉があります。

物も心も、ともに大宇宙の心から出発し、この心を基点にして、万生万物ができあがっておりますので、人間の場合、心と肉体をすこやかに、健全に保つためには、中道という神意にそった生活をすることが必要です。

私たちの祈り(行為)も、色心不二という中道の心にまで高めてゆきたいものです。

(終わり)

 

永らく掲載してきました『心行の言魂』『心行の概説』は、今月号で終了となりました。

次号からは高橋信次先生が関西方面で開かれた講演会でお話下さったものを掲載いたしますので、引き続きご熟読下さい。

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