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時の言葉
Word at time

2018年2月 信は力

人は、誰しも目的を持って生きていよう。目的のない人はまずいないと思われる。人の目的はさまざまであろうが、その要約された目的は、仏国土・ユートピアの建設である。もしも、この目的から外れた独善なり、野望なり、あるいは混乱と争いを求める不調和が目的とすれば、目的が達成される前に、あるいは後において、目的に対する反作用が起こり、その目的に対して自覚をうながすことになるだろう。

 

作用と反作用は、法の定めによるからである。

ともあれ、人は目的を持って生活するが、その目的達成の原動力は何かと言えば他でもない、それは信であり念である。つまり、信念だ。信念は行為の原動力である。ものの成否のカギを握っていよう。信念がなければ、いかなる目的も理想も果たし得ないし、人生という大目的からも外れてくるだろう。

では、何故に信は力なのであろうか。信とは、エネルギーが集中されたものであり、力はすべてエネルギーの集中の度合を示すものだからである。

 

信が強ければ力が加わる。弱ければ力もまた弱い。信の強弱によって物事の成否が決められてゆく。このことは読者も日常経験されるところであろう。つまり、こうなると思うとそうなってゆくだろう。これは何も、肩をいからせ、我武者羅に振る舞うことではない。若いうちはそうなり勝ちだが、心の法を知ると、安らいだ心が広がるほどエネルギーが集中され、物事が成就してゆくものなのである。事実、信念を持ってこうなると力んでみても、心の片隅に不安があるとその力は滅殺される。また、不安があると、肩をいからす格好になってこよう。不安を打ち消すために、そうなってくるからだ。であるから、信念の要諦は、目的に向かって、そうなると堅く思い、安らいだ心で行為するときにいかんなく発揮されよう。

 

信念は、往々にして盲信や独善に陥る。信念はもともと個人の心の問題であるからだ。そのため、自己の信念に対して、常に前進への反省が必要になってくる。

私たちの生活は人と人との関係の中で行われるので、自己の信念が正しいものであるかどうか。その目的意識が人との調和を乱すとすれば改めねばなるまい。人の心を乱すとすれば、それはやがて自分にふりかかってくるからである。

 

こうして、人の信念は反省を通していよいよ強固となり、不動のものとなってくるだろう。このときにおいて、私たちの信念は偉大なる力を発揮し、人々を教化してゆくだろう。正法に裏打ちされた信念は、何者をも恐れぬ大きな輪となり、力となって、自信と勇気とを与えてくれるだろう。

 

正法は、信と行との生活である。信のない生活行為は、浮草同様、世のカルマの波に絶えず揺り動かされ大事な一生を無為のうちに過ごしてしまう。正法の理解が深まれば深まるほど法の真実にふれ、まず、正しい調和の因果律にそった生き方をとるであろう。なぜなら、自分の未来は現在の信と行との生活にかかっているからだ。 この意味において、読者諸君は反省を通した正しい信念を持って毎日の生活を送ってほしいものである。

(一九七六年八月掲載分)

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