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時の言葉
Word at time

2018年5月 反省について

拙著『人間・釈迦』など、一連の著書を読まれ理解されるならば、反省の目的、仕方、そうしてその在り方というものが自ずと明らかになると思うが、近頃の傾向をみると、その反省が反省のための反省になったり、反省に心が縛られたり、精神分析に陥ったり、物事に神経質になったり、欲望充足の霊道を目的としたり、思い出に耽る者もあったりして、反省の目的から大分外れてきているように思われる。

 

一体、反省とは何かというと、一口に言えば、心のわだかまりを取ることにある。自分のクセなり欠点、業の原因をハッキリと自覚し、生活の場において正道に反した生活に流されないようにすることにある。言葉をかえれば、安らぎある自分自身に立ち返ることである。反省したから、もうただちに心が晴れて恐いものがなくなり、欠点が消え、業が飛んでなくなるというものではない。もちろん、これまで不明だった原因が明らかとなり、ものの見方、思い方が変わってくるので、反省それ自体にも大きな意義があるわけだが、反省の目的は反省後の実生活に反省の結果がどう生かされるかにかかっているわけである。

 

一方、反省の尺度は八正道という中道に心の在り方を軌道修正するもので、それはまた慈悲と愛に集約される。別な言い方をすれば、生かされている現実に感謝する気持ちと、正しく生きる報恩の行為ということになろう。

八正道以前の私たちは自己本位の自分の立場に執着し、その立場からものを眺め、思い、語り、念じ、仕事をしてきたはずである。だが、八正道という中道を尺度に反省すると、こうした立場の愚かさを知り、自己本位のエゴを捨てていくようになってくる。すなわち、心の大きな転換が図られてくる。反省の大きな意義は心の転換なのである。エゴの自分から調和の自分に立ち返る。感謝と報恩に心が充実してくるものなのだ。

 

反省して自責の念や感謝の心が湧いてこないようでは、まだ本当の反省には至っていない。思い出に耽ったり、精神分析をやっていたのでは反省の目的から外れてくることになる。また、反省、反省でいつも心が縛られ、気持ちばかりあせるのも感心しない。周囲の雰囲気に呑まれ、ある種の虚栄心に心を揺さぶられているのとあまり変わらないからだ。心の安らぎは、先ずもって他人ではなく自分自身にあるのだから、自己満足にならない自分のペースを早く見い出し、そのペースに自分を乗せることだ。正法は、感謝の自覚と、報恩の行為に尽きる。

 

(一九七五年十月掲載分)

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