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時の言葉
Word at time

2018年7月 自由と愛

日本国憲法にはさまざまな自由が保証されている。いわく、思想の自由。信教の自由。集会・結社、言論、出版の自由。居住、移転、職業選択の自由。外国への移住、学問の自由。このほかさまざまな権利が保証されている。

 

我が国は世界でも例をみないほどの人間尊重の自由な国である。憲法という国の基本法によって私たちの生活は誰からも、どこからも拘束されず、自由を享受するよう保証されている。が、しかし、さて、現実の生活において、それでは憲法で保証されるほど自由かというとそうではない。家を建てるにも大変な金がかかる。引っ越しを三度も続けようものならサラリーマンなら貯金を使い果たしてしまうだろう。職業選択の自由といってもそう簡単にはいかない。実際の生活は憲法の保証にも拘わらず、不自由であるというのが実情である。このように私たちの実際の生活は不自由であり、本質的に不自由に出来ているのが人間なのである。憲法の保証は、人間は法の前に平等であるが故に人間固有の権利と自由性を認めようとしているわけである。

 

本来、人間の自由性は心の姿をいうのであり、肉体はもともと不自由なものである。この不自由な肉体と自由な心を持って人間は生活するものだから、ここにさまざまなギャップが生じ、混乱が絶えないわけである。つまり、憲法の保証を文字通り解釈し、肉体生活の上に現そうとすると、随所に衝突が起こり、争いになってくる。

 

肉体を持つ人間がこの地上界において、心の自由性を肉体の上に100パーセント発揮することは通常は絶無である。そうするには肉体から魂が抜け出すか、あるいはあの世に帰らないかぎり不可能だろう。奇跡として、いっときはできても永続的には不可能なことなのだ。それが正法でいう法でもある。とすると、不自由な肉体人間が法に適った調和を目指すにはどうすればよいかといえば、それは、愛しかないと言える。つまり、不自由な人間同志が互いに助け合い、補い合う生活である。相手を認めて、互いに他を生かし合う相互扶助の生活である。こうすることによって、不自由な人間社会は着実に個の自由性を生かすことになってくる。愛の生活もなく、それぞれが自己主張し合う社会は、互いに相手を傷つけ、自分もまた傷つき、得るものは何もない、ということになろう。

 

自由思想の動機が圧制からの解放にあったとしても、その根本を為すものはやはり人間の解放であり、その解放はまず愛の行為から始まるということを認識すべきであろう。

 

(一九七六年二月掲載分)

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