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今月の課題
This Month's Problem

2018年8月

本部長 岸田 守

正法は万古不変であり、いくら年月を経ようとも、いつでも新しく、私たちを導いてくれます。原点に戻って学びを深めていくために、今月は、平成八年八月号に掲載された、岸田本部長ご指導の要旨を再掲載させていただきます。

 

今月はお盆の月です。

GLA関西本部でも例年通り、八月八日に在天の先師・先達・法友の諸霊と会員各位の肉体先祖の諸霊を追善し、回向供養の集いを開くことになっていますので、今月は少しご先祖供養のお話をしておきましょう。

勿論今更申し上げるまでもなく、ご先祖に喜んでもらえる回向供養の最たるものは、高橋信次先生もよくおっしゃっていたように子孫である私たち自身が、供養の目標とするそのご先祖に勝(まさ)るとも劣(おと)らないように人生修行に励むことです。皆様が立派に人生の目的と使命を果たすことです。

まして私たちの何代、何十代前までのご先祖を数えれば随分沢山の数になりますし、その中には間違って地獄や餓鬼道に堕(お)ちて苦しんでおられる霊の一人や二人は居られるかも知れません。もし居られたとすればその霊に反省をうながし、もとの天上界へ帰ってもらうようにするのは現在肉体を持っている直接の子孫の役目です。そのためにも私たちは自らがしっかり反省し、その救わねばならぬ先祖霊の範(はん)となるような人生修行、正法生活を示さなければなりません。ある意味ではそれがもっとも大事なご先祖への供養かも知れません。

いずれにしても、自らの反省と実践に励むことがご先祖に対する最高の供養に間違いありませんが、それさえすればご先祖に合掌する必要もないというわけではないでしょう。と云うより、むしろ自らの修行に懸命であれば懸命な人ほど人情も厚く先祖伝来の回向供養もするようになるでしょう。

 

ここで少し仏教のしきたりにふれますが、追善供養は神通第一と云われたモンガラーナ(目蓮尊者)が、とても吝嗇(りんしょく=(注)一)だったために餓鬼道に堕ちて苦しんでいる母親を救うために、釈尊の教示の通り夏安居(げあんご=(注)二)の修行を済ました僧全員に沢山の食事を馳走(ちそう)した。しかも母を背負ったつもりで自らの名も改名して母の代わりの償(つぐな)いをしたそうです。それが追善供養のルーツであり、餓鬼道に堕ちて飢えと渇きに苦しむ母を救ったということで施餓鬼(せがき)供養のルーツとも云われるそうです。

また、回向はサンスクリット(梵語)のパリナーマナの訳で、進めるとか熟させるとかいう意味だそうです。だから、自分の積んだ修行や善事の功徳を他にめぐらせて死者の冥福を祈る追善供養とその意味に大差はありませんし、その布施供養の行いは自らにも功徳があると云われています。

しかし何よりも重要なことは今生きている、生かされているという喜び、ありがたさ、感謝がなければ、この修行の躰(からだ)を与えて下さった肉体先祖に対する供養も出来ないし、その大切さも分からない。私たちの躰の中には遠いご先祖から連綿(れんめん)と受け継がれてきた日本人の血が流れているのです。その血をより大切に尊いものとして子孫に残してゆくために、その本性である「心」をより浄化されたものにしてゆく責任と義務感が生まれてくるのではないでしょうか。

 

いずれにしても、因縁相寄(あいよ)るとか、類は類をもって集まると云います。いろいろと苦労をされたでしょうし業を積み重ねられたこともありましょうが、そのお陰で今日の私たちがあるのに違いありません。誰々と特定するご先祖はもとより、その他のご先祖をも含めてその人生修行のご足跡を偲(しの)び回向供養して、子孫自らの精進の糧とすることは古くからの風習です。

皆さまよくご承知のように、この世の修行が終わり死んだら誰もが先ず収容所へ行きます。そして、今世生まれてから死ぬまでの一切の想念行為を反省するわけです。その全てを立体モーションピクチャーで見せられて、それは厳しい厳しい反省だそうです。そしてやっと故郷の魂の兄弟の待っている処へ帰るわけですが、反省した償いをするために特別の修行をする霊もあるようです。つまり、肉体はこの世に返しても死後の通過儀礼はまだたくさん残ります。初七日、三十五日、四十九日でいちおう喪(も)は明けますが、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌があり、この間にお盆や春秋のお彼岸があったり、土俗信仰のいろいろな法事などもあるようです。

俗説でしょうが、その期間中に死者の霊はまだこの世に思いや執着が残っていて、残された人々の供養を待っていると云います。それが三十三回忌が済むと一切の執着がなくなり、やっと祖霊の段階に入るのだと云います。 私はそれを信じるわけではありませんが、あの世の修行がたとえ千年だとしても、死後の二十年、三十年は天上界の次元で考えればまだまだ新発意(しんぼち)の霊であることは間違いないでしょう。だからと云う訳ではありませんが、いずれ私たちもその道を往く霊なのですから、その節目ふしめに故人を偲び、追善供養のまことをささげるのは子孫としてのつとめだと思います。

私は、そんな思いで毎年八月八日の供養の集いに参加させてもらってきたことを申しそえて今月のお話にかえさせて頂きます。

 

(注)一、物惜しみの度が過ぎること。けち。しみったれ。

(注)二、僧が夏一ヵ所に集まり、外出を禁じ、修行に努めること。

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