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高橋信次先生講演
Lecture

般若心経の解説(2)

(前号より)

 

この般若心経というのは、過日も説明いたしましたが、日本へ伝わってきてからは、いつの間にか仏壇や神様の前で上げるものになってしまいました。また、清書(写経)して何回も書くことによって悟り得るという馬鹿げたものになってしまいました。字は上手になりますが、しかしそれで悟れるものではないのです。その意味をよく知った生活をすることなのです。皆さんは法華経を今まで学んできました。南無妙法蓮華経とお経を上げて参りました。あれはやはり方便を通して人間はかくあるべきだ、人間の心はこういうものだ、これを説いたものなのです。

 

インドのゴーダマ・シッタルダーの時代は、決して南無妙法蓮華経も上げておりませんし、南無阿弥陀仏も上げておりません。ただ、その意味をよく理解した生活をして、人間の価値、生まれてきた目的と使命、このようなものを教えたのに過ぎないのであります。決して経文を上げろということはやっていません。

第一、当時の多くの弟子たちは無学文盲です。文字など書けるような人は非常に少なかった。クシャトリヤという武士階級の中において、婆羅門をやっている人たちの多くは、一応は学問をしております。寺子屋のようなところで婆羅門を中心とした一つの経典を主体とした教えを学んでおります。その当時の文字も、仏教でいう梵字というのがありますが、それとはまるっきり違います。そのようなことを考えたならば、般若心経を上げたり書いたりすることが、悟りへの道だとは思えないはずです。

しかし、こういう般若心経というものを知ることによって、なるほど、仏教は科学であり、現代物理学の最極微を究めた神理であるということがわかるはずです。

 

摩訶般若波羅蜜多心経。観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子

 

棒読みするとまるっきりわからない。この前にも説明いたしましたように、摩訶とは偉大、当時はマハーと言いました。マハー・パジャパティー、また、皆さまの現在の会長様も、マハー・ナマといって偉大なるナマと言われた方です。ナマという名前でカピラ・ヴァーストのシュット・ダナーの四番目の弟さん、その弟さんの長男、その方をマハー・ナマと言いました。その弟をアニルッターと言います。アニルッターと言われる方は、ゴーダマ・シッタルダーの十大弟子のアナリツ。このアナリツの兄さんが今の中谷会長であります。それはそのうちに、皆さんの中から霊道者が大分出てきておられますから証明されるでしょう。また別のところからそのような証明者が出て参ります。これだけは否定できないのであります。とにかく、そのようにマハーというのは偉大ということです。

 

般若というのは智慧ということです。波羅蜜多ということは、到達するということです。そしてしかも彼岸に到達するまでには、自分に内在されているところの潜在意識の偉大なる智慧、この智慧に到達するいわば心の教え、心経はインド時代は、ストラーと言っております。悟りへの道。ところが中国人はなかなか頭がよく、うまく語呂と意を合わせています。摩訶般若波羅蜜多心経の摩訶とは、また大いに不思議という意味もあり、摩訶不思議とも言います、あの摩訶です。摩訶般若の般若と言うのはほとんどの人は般若の面ぐらいしか思い出しませんが、当時のインドではこの偉大なる智慧を蜜多とも言いました。というのは、当時のインドでは蜂蜜というのは非常に貴重なもので、そう採れなかった。蜂蜜を採るには、蜂蜜を探す鳥がおりまして、その鳥に赤い布を付けて飛ばし、蜂の巣を見つけて蜜を採るのです。こうした事を商売にしていた人もいました。特に仏教教団の場合は、蜂蜜は高貴薬のようなものでした。そのためによく薬王菩薩とか薬師如来が左の手に壺を持っており、これも実は蜜の壺、女王蜂の園から取り出して作られたところのローヤル・ゼリー、不老長寿の薬として持っていたものです。

そのように、蜜というものは非常に高貴薬であるということから、心の中の内在されている分野にはそのような高貴薬のような偉大なものがあるんだよ。即ち、偉大なる智慧、内在している偉大なる智慧に到達する心の教え。このように摩訶般若波羅蜜多という意味は、つけられても結構だと思います。

 

観自在菩薩、この観自在菩薩というのは、これもまた中国流に訳しております。漢字で読んで字の通り、自在にものを見る菩薩。皆さまの中には菩薩と言えば、ああ立派な偉い神様だと思っているでしょう。菩薩というのはインドの当時は、サマナー、サロモン、アラハン、ボサター、その次がプッターといって、それは悟りの段階を指すのです。観世音菩薩像を見ますと、必ずネックレスをはめたり王冠を付けております。また、文殊菩薩・マンチュリァーもやはり王冠をかむっております。このように王冠等飾り付けているうちは、執着があるということなのです。そうすると未だ菩薩は悟り得ぬ段階なのです。そこで観世音菩薩といわれるものは、ゴーダマ・シッタルダーが今から二千五百有余年前のヴェダーとかウパニシャドという現代の日本の仏典、教典と同じようなものがありまして、その中に書き込まれているものなのです。自由自在に見ることの出来る菩薩、本来は如来を指しているのであり、これをアボロキティ・シュバラーとも言っております。

 

(次号へ続く)

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