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時の言葉
Word at time

2021年10月 己心の魔

魔についてはたびたびふれてきた。それは、正法が流布されてくると、決まって魔が跳梁し、表面に現れてくるからである。なぜ現れるかというと、光(法灯)が強くなれば、陰(暗黒)の部分も鮮明になるからである。ある物体に光を当てたとする。するとその光が強くなると陰の部分も黒く映り、光が弱まれば陰も不鮮明になってこよう。人の心もこれと同じ理屈で、光が強く当たると、その陰影も大きく描かれる。心がもし、その陰影に傾斜していくと、陰影に巣を食う魔が暴れ出し、さまざまな現象が起こってくる。こう言うと、人は魔が働くとは光が強烈なのだから、魔という光の反対現象は、人より偉いのだと早合点しがちである。

しかし、これは間違いである。人間は誰しもこうした光と陰を合わせ持っているので、心いかんでは魔は誰にも働く。学生運動の内ゲバを見ればこの点は明らかであろう。魔はしょせん偽我の産物であり、悪のエネルギーなので、念の作用が強い者ほど強く働くということだ。

善といい、悪といっても、すべては想念によって引き起こされる。つまり、心の在り方だ。その心の在り方が、念のエネルギーの強弱によって形の上に現象化されてくる。

 

人の心は天国と地獄とに通じている。これを別な言葉で言うと、心は自由だということである。どちらにも通ずる。地獄の不調和な心の働きや行為をすれば地獄に、天国を思えば天国に、しかし、一方通行で地獄のみに通じ、天国に通じることが少ないと心は不自由になる。天国に通じてこそ、私たちの心は明るく、正しく生きられる。偽我は地獄に、善我は天国にである。

しかし、この両面をさらに超えると、真我の境涯に達し、人の心は真の自由を得ることになる。仏教で言う如来の境地である。ここに至ると、魔に己の心を委ねることはない。魔に悩まされることもない。それはカルマの緊縛を離れているからである。心がカルマに揺れる間は、魔は常に背中合わせについて回る。つまり、光に対する陰である。真我に至ると、陰があるようで陰はない。肉体があるようで肉体はない。肉体とは、心を光とすれば陰のようなもので、肉体に心が翻弄されることはないので、光があっても陰はないということなのだ。ところが通常は、光と陰がついて回る。そして、偽我の心の中には魔は常に伏在するということになる。これを別な言葉で言うと、己心の魔と言う。己の心の魔である。

魔の世界は、いつも言うように、怒り、憎しみ、嫉み、足ることを知らぬ欲望、愚痴、怠惰、増長慢などに通じており、ことに、怒り、憎しみ、増長慢に心が揺れてくると、魔はただちに働き出す。霊道を開いている場合は、それが顕著に現れる。つまり、現象化されやすい。霊道を開いていない者は肉体的に肩が重いとか、頭が痛いとか、腹の調子が重苦しいという具合になってくる。しかし、霊道が開いている者には、あたかも指導霊や守護霊が語るかのように語り出す。または、現象を見せる。

 

魔界にはさまざまな魔王がいるが、それらは己心の陰に通じていて、本人の心次第でいつでも飛び出せる姿勢にある。ターチューマーラーという魔王は、アインシュタインの原理を巧みに利用し、人を翻弄させる。うっかり信じようものなら、これの虜にされてしまう。しかし、もともと魔王には慈悲も愛もない。魔王がその人を支配すると、人を威圧し、言葉が号令調になってくる。相手の心を読むのも早いし、ビシビシ指摘してくるので、恐れとともについ信じざるを得なくなってくる。彼らはさまざまに変化する。しかし、霊視の利く者が見れば騙されることはない。もともと正真の天使ではないので、こちらが冷静に見る姿勢を崩さなければその変化は崩れてしまう。つまり、魔王が現れる。魔王の姿はさまざまだが、大抵は頭に角が生えており、目はつり上がり、ランランと光り、口は大きく耳元まで裂けている。

まず、私たちは冷静に正法をフィルターとして物を見る、聞く、考える姿勢を崩さない不動の心が必要である。なぜなら、こうした姿勢こそ、法を拠り所とした正道の第一歩だからである。光の天使が背後にいて語る場合は、決して人を威圧したり脅したり号令調になったりはしない。号令調は時と場合にはあるにはあるが、愛の心を根底としているので、相手の心を踏み荒らすような、あるいは増長慢の心を煽るようなことはしない。現象は見世物ではないし、現象は現証に通じた時にしか行わないので、人の心をえぐったり、震え上がらせたりはしないものなのだ。正しく見る、思う、語る正道こそ、己心の魔から自分を守り、成道に至る大事な要諦なのだ。

魔王に翻弄されているかどうかを本人自身が理解する手がかりは、これまた正法に適った正しい反省しかないのである。魔王といえども、四六時中その者を支配しているわけではなく、また、魔王に同通していても、反省の機会というものは必ずあるのである。そうした時に、自身を振り返り、今日一日のその心の動きを反省することである。そうして魔王に取り憑かれている心と行いの原因を取り除くことである。反省を怠り、いたずらに霊力のみを願い、自己慢心の上塗りをしていると、やがて、魔王に支配され、分裂症という危機を迎えることになる。

正しく生きる、反省と実践の調和ある毎日を送って欲しいものである。

 

〈一九七五年六月掲載分〉

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