(前号より)
あの世へ帰りますと自分で自分を裁くのです。この地球上には裁判官がいて、弁護士、検事がいて、その中であなたは犯した罪を裁かれるのです。弁護士の方は、泥棒にも三分の理と言い、何とかあなたを助けるために弁護してくれます。裁判官はその結果を裁定するわけです。
ところが、あの世では違うのです。皆さんが自分に嘘のつけない心で自分自身を裁くのです。それは厳しいです。何年の何月、何をした、こういう事があった。ああいう事もあった……と。それを裁くのは他人ではなく自分なのです。それだけに、皆さんは生きているうちに、心の中で思ったこと、行ったことの一つ一つをしっかりと反省しなければならないのです。心の中には、テープレコーダーと同じように全部記録されています。私にはそれが見えますから、この人は何をしてきたのかがすぐにわかってしまうのです。
最近では、警察署などからいろいろと相談がくるので大変です。
この間も、ある警察署長が「迷宮入りの事件が二件あるのですが、先生何とか相談に乗ってください」と来ました。そのような相談が何件も来るので困っているのです。「あなた方警察は、事件を解決することが仕事でしょう。それならあなた方もGLAの会員になって、早く心の窓を開いて頑張ってください」と言ったら、本当に会員になった人もいます。最近はお巡りさんの会員も多くなって、GLAのために多額の喜捨をしてくれた人もいます。
本当は、全てのお巡りさんの心がきれいになって、犯人がどこにいるかわかるのが一番いいのですがね。そのうちに警察の中にも特別に心の窓が開いたチームが出来、犯罪が起きないように捜査に当たるようになるでしょう。あの世にはそういう人がいるのです。
不動明王というのを皆さん知っているでしょう。あの人は、あの世のお巡りさんです。しかし、あんなにおっかない顔をしていません。この世の人が、魔王とか何かを見て描いたのでしょうが、彼は光の天使です。悪魔から見れば大変恐い存在でしょうが、善人には決して恐くはないのです。皆さんの善なる心に、地獄界の悪霊たちを侵入させないようにお巡りさんの役をしてくれているのです。
今、無限地獄という所に墜ちている人たちが何名かいますが、無限地獄というのはよほどでない限り墜ちることはないのです。よっぽど悪い事をしないことにはね。
戦争責任を問われたある方は、天上界に行けたのですが、自ら地獄界に行っている人です。
「私は、自分の罪は罪として認めなければいけない。一億の人を迷わしたのは私の罪でございます。」と、刑務所にいる時に反省をして過ちを悟ってあの世へ帰りました。
そして、天上界に行けるところでしたが、私は大きな罪を犯したといって自らの意志で地獄界にいます。一国の指導者といえども、地獄に堕ちるのです。ですから、○○○院殿〇〇〇居士といった大層な戒名など当てにならないのです。あの世に行って大層な戒名をつけている人はほとんど地獄に墜ちています。悪い事をしてお金を貯め、地位や名誉を得たからでしょうね。反省の余地無しということです。 人間は戒名が立派だから良いのじゃないのです。あの世では、戒名で呼ぶことはまずありません。あの世では、戒名は通用しないのです。
皆さん一度、新興宗教か何かで拝んでみてもらってください。おかしいですよ。矛盾がありますよ。拝みやさんは大抵先祖の話をしてきます。何代前の先祖が恨んでいるとか、どこどこの先祖の祟りとか言ってきますが、その時に、○○○院殿という戒名は出てきませんね。 それは、日本の仏教の歴史上において、お坊さんも檀家という組織の中で生活していかなければならないので〝戒名”も必要になってきたのです。しかし、戒名にこだわることなく本来やらなければならないことはいっぱいあるはずです。
このように、人間というのは自分の心がわからないで、こういう霊たちが生きている人間の同じような心、これを一念三千と言い、皆さんの心は無限に広いのです。
この広い心で思ったことは即座にその世界に通じてしまいます。その結果、たとえば恨み、恨み恨みと恨みばかりを思っていると、そのうちに自分がそのような者たちに支配されてしまいます。
密教などもおかしなところもありますね。〝念力〟だといってこういうものを一生懸命にやっているうちに自分までがおかしくなってしまうのです。
『人を呪わば穴二つ』という諺がありますが、これは恐ろしいことです。
(次号に続く)
この稿は、昭和49年3月10日、関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたもので、一部加筆・修正を加えてあります。〈文責=編集部〉