(前号より)
三十数年間探求し続けてきたところのあの世、霊的なもう一人の自分というものがこんな厳しいものであったのか、こんなにもあの世というものは恐ろしいものなのか、私は本当にわからなくなってしまいました。自分の心を一つひとつ監視され、今やった行為を次々と指摘されていったらどのようになりますか、気の弱い人だったら狂ってしまうでしょう。
自己保存の思いは思ってもいけないと言われるのです。
しかも厳しく、それが日本語で喋るならまだしも、外国語訛りの難しい解らない日本語で語るのです。そのうちに、そうした状況の中で私は三日間で悟れと言われたのです。悟れといっても悟る意味さえ解りません。私は本当に困ってしまった。しかし、今さら放り出すわけにはゆかない。やめるわけにはゆかない。そこで高野山の奥の院から、上野東叡山寛永寺に、そうして千葉の中山寺奥の院にも行き、ともかくここぞというところへ参りまして、現在起こっている現象を説明してまわったのですが、正しくそれを判断してくれる人はいませんでした。
私は本当に困惑してしまいました。私をして一週間も苦しめた者は何者だろう。悪魔ではなかろうか。有名な僧侶にあっても何一つ解答が得られない。
三日目の夜、私は一切を諦めた。地位も名誉も財産も、そして生命もいらない。私を苦しめた者は悪魔に違いない。悪魔ならその悪魔を善に変えてやろう。私は生命を投げ出し、悪魔と対決したのです。
「悪魔よ、私の前に出てきなさい。悪魔であるならば、あなたたちを善に変えてやろう。それによって、私の生命がほしいというのであれば「上げてもよい」私がこう決意し、思った瞬間に、今まであれほど厳しいことを言っていた霊はガラリとその態度を変え「今晩はお祝いだ。お前自身のために一週間の苦しみを和らげよう」とコロッと変わってしまいました。私は脳細胞が侵されたのではないだろうかと、東京大学の医学部の神経科に行って診てもらいました。異状がないばかりか最も正常だと言われました。
こういう体験を通してそれ以後は弟の霊的現象はピシャッと止まってしまいました。今は全然出ません。九月に入ってから、私の会社に手伝いに来ていた妹に光を与えた瞬間に過去世を思い出してしまいました。そうしてあらゆる諸現象を見通し、さまざまなものが見えるようになってしまいました。続いて十月に入り、私の家内がまた同じように解るようになってしまいました。すべて心の中を見通されてしまいます。しかし、人間というものは、執着を離れてしまえば丸い心になってしまいます。そのために自分の心というものに対して誰に監視されていても、もう晴れやかな丸い大きい心になっていますから心配ありません。
そのような体験を通して事業をやっていましたから、やがて多くの人々が私の家に出入りするようになってきました。
三度の飯より神様の話をしていた方が好きな私のことですから、お客さんであろうが何であろうが、神様の話をしてしまいます。
仏教もキリスト教も何も知らない全く我流の話でした。そのうちにだんだん私自身の心の中にある転生輪廻を繰り返してきた心のテープレコーダーがひもとかれてきました。人間の生命が不滅であるということもだんだん解るに従って私の家に訪ねてくる人たちも、次々と心の窓が開かれてゆきます。同時に、皆さまの肉体舟の船頭さんである皆さま自身の魂がどのような転生輪廻をしてきているか、過去・現在・未来の霊的な諸現象を見る能力を得ていったのです。そこでそのような心のテープレコーダーをひもといて、仏教がどのような変遷を経てきたかということを皆さまに説明したいと思います。
今から二千五百余年前、インドのカピラというところに、ゴーダマ・シッタルダーといわれる方が生まれます。それより以前約二千年前にクレオ・パローターといわれる道を説く人がエジプトに出ています。実在界あの世において、この地上界に出る光の天使たちの選考が始まった結果、クレオ・パローターの過去世を持つその光の天使がカピラという場所を自分自身が選び、出生することになりました。インドを選んだ大きな理由は、自分自身を悟るには最も都合が良い場所であり、伝道の環境が整っているからでした。カピラヴァーストという環境は、まずコーサラという大国の属国で、小さい砦のような城市で、共和体制をとっている国であります。そのためにいつ敵から襲われるか解らない。そしてまたシュット・ダーナー王、マヤ妃という両親の間に子どもがありません。母親は同じシャキャ族のコリヤ族というロッシニー河をはさんでデヴァダバ・ヴァーストという城市の娘であります。このような二組、これはもちろん当時日本の戦国時代と同じように、非常に政略結婚というものがインドでも流行っておりました。そういう環境をまず選んで生まれると同時に一週間目にして母親をあの世に引き取ることになっております。ややもすると私たちは死というものについて非常に恐怖心を抱くものですが、あの世から見れば、決して死は恐ろしいものではないのです。こういう環境の下においてゴーダマ・シッタルダーの義理の母親マハー・パジャパティーにはナンダという子どもが出来てしまいます。これもあの世で計算してあります。そうして人生に対する無常を感じる環境というものを選定してくるのです。
(次号に続く)