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時の言葉
Word at time

2023年4月 般若波羅蜜多への道

私は10歳の頃から霊的な体験が起こり、以来32年の間、心と物質について追及してきた。その結果、ようやく問題の核心に触れ、人の魂が転生輪廻の過程を踏んで永遠に生き続けることを悟った。心の窓を開いた同志は東京ばかりではなく、関西方面に置いても同様な結果となって現れている。
心の窓というものが何故開かれるか。転生輪廻の自覚は、今日の演題である般若波羅蜜多への道である。
般若波羅蜜多とは、本来、今から二千五百有余年前の印度の言葉であるパニヤー・パラミタがその語源である。中国に渡って当て字となり、日本に来て、般若波羅蜜多となったのである。文字の上からこれを解釈しようとしても、正しい解釈は出てこない。十人十色の解説が生じるのも無理はないのである。

 

般若とは、偉大なる智慧である。知識と智慧は別物。波羅とは、行くということであり、到達するという意味である。蜜多とは、内在された智慧の宝庫を指している。
般若波羅蜜多を得るにはどうすればよいか。通常は理解に迷ってしまう。それというのも仏教の長い歴史の中でつくり出された学問、哲学という知と意によって、その解釈が塗り替えられてしまったからである。
般若心経は学問からでは理解できない。何故かというと、般若心経は心の在り方と行い方、そうして空の実在の世界と色の世界を通して解いているからである。

 

私たちは、まず自分自身が行じ、正しい心の物差しを通して、その行いを正していくものである。偉大な智慧は、そうした心と行いによって生まれるものであり、般若波羅蜜多への境地は、こうした過程の中からつくり出されるものである。
ところが、般若心経の中には般若波羅蜜多への道が説かれていない。周知のように、観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時という言葉が冒頭に出てくるが、これを棒読みで「観自在菩薩が深く般若波羅蜜多を行じた時」ということになると、その意味がまったくわからないものになってくる。
人生の目的は般若波羅蜜多であり、これこそ私たちにとって重大な意味を持つものでなければならない。
私にとって、仏教、キリスト教はまったく無関係であり、学んだことがない。しかし、八正道という大自然を尺度とした心の物差しを通して、日々の生活をしてきた時には、自らして心の窓が開かれ、テープ・レコードされた自分の転生輪廻の過程がひも解かれてくるのであった。
私は最初、何故私の家庭や周囲のみにこうした現象が起こるのであろうかと、疑問に思った。しかし、その後こうした現象の輪が広がることによって、多くの人々の心の中に魂の永遠普遍を証明する転生輪廻と、その神理の種が蒔かれることを知った。また、学ばないのに偉大な智慧に到達できるのは、心の窓が開かれ、過去世を思い出すことによって、過去世で学んだその智慧が現れることでもあった。心の窓は、八正道に基づく実践によって開かれ、そうした人たちが数多く出てきている。

 

もっとも、我々のグループの中にはキリスト教、仏教を学んできた人もいる。それらの人々の知識と、心の窓を開いた人々の転生輪廻の事実がまったく符合していることは、魂の永遠性を証明する好個の資料となっている。
霊道現象は、聖書の中の使徒行伝第二章と華厳経十地品に記録されており、その記録がまったく事実であり、現実にも起こっているのである。「私は、何時どこで生まれ、兄弟が何人いて、そこで正法を学んだ。その時の同志、先輩、友人が、現在ここにいる。誰と誰がその人たちです。」と、はっきり実証される。そうしてその実証を裏付けるいくつかの参考となる現実的事実も指摘される。
転生輪廻は魂の永遠性を証明する現証の一つであるが、八正道を学ぶことによって、般若波羅蜜多、つまり内在された偉大な智慧をひも解くカギとなるのである。

 

私たちがこの地上界に生まれてくる前は、どこにいたか。次元を超えた、俗に言うあの世といわれる実在界、空の世界から両親を縁にして生まれてきたのである。生まれてくる時には、生まれてくる環境、自分の将来というものを考えて出てくる。
しかし、この世の経済、地位、名誉というものは、あの世では無関係であり、自分の魂の進化にとって、どの環境が一番適しているかを考えて出てくるわけである。あの世の世界は人の心が表面に出てきているので、お互い嘘をつくことがない。第一、すべてにおいて調和されており、相手の考え、思うことがわかってしまう。ところが、地上界に出てくると神の子としての自覚を失い、環境に振り回され、動物以下に成り下がってしまう。人類の長い歴史は、こうしたことが原因となって地獄界をつくってきた。つまり、地獄の心を持った人間があの世に帰り、地獄界をつくっていったのである。この地上界は、このため天国と地獄がミックスされた世界となり、その中で自分自身を修行するという状況をつくり出している。
人間の心の針は、三百六十度の無限の方向に向かうように出来ている。自由な心を持っている。その自由な心が、恨み、妬み、謗り、怒りというような自己保存、自我我欲、自分さえ良ければいいという想念にとらわれてくると、私達の心はもっとも不安定な地獄界に通じてしまう。同時に、自由な心が自由でなくなってくるのである。地上界の混乱は、こうしたことが原因となって生み出されてくる。

 

物質文明は、人間の生活の知恵が作り出したもの。その生活の知恵に自分自身が束縛され、物質文明の奴隷になっているのが現実の姿である。よく考えて欲しい。人は生まれてくる時に札束など持ってはこない。死ぬ時も持っていけない。この世からあの世に帰る時は、人生において体験した行為と想念しか持参できないのである。
私たちは、この肉体という舟に乗ると、わずか10パーセントの表面意識で人生を経験する宿命を負っている。それは、自分の魂を磨くためだからである。地上界は学習の場である。あの世で学んだことを自分で自分をテストする貴重な場所がこの世である。神の子の自分が、自分が選んだ環境に対してどこまで振り回されないで済むか、それをテストするのがこの世なのである。ところが、大半の人たちは煩悩に苦しみ、自分を失っていく。
皆さんは、この会場に来るまでに、ある者は新幹線に乗り、ある者は電車に、自動車に乗り継いで来られたが、しかし、乗り物の電車、自動車は変わっても、皆さん自身は少しも変わらないように、皆さんの魂と肉体舟についても同様なのである。つまり、ある時には中国に生まれ、あるいは印度に、エジプトに生まれ、そうして現在、日本に生まれている。そして、より良い自分の心をつくるための学習をしている。

 

こういうことを皆さんが真剣に考えられていったならば、神の子としての自覚も自然に湧き上がってくると思う。大自然界を眺めると、万生万物は、それぞれ相互扶助のもとに安定した姿を示している。人間だけが万物の霊長にもかかわらず、その相互関係を破壊しつつある。自分の首を自分が縛っている。
物質文明に翻弄されると心の中にスモッグが生じ、次元を超えた光の世界からの光が通らなくなる。つまり、自我我欲の狭い心は光の道を閉ざすことになる。病気や事故、不幸の原因というものは、こうした自己保存にあることを知らなくてはならない。
般若波羅蜜多への道は、自我我欲の狭い心を、神の子の広い心に方向転換することである。肉体想念にとらわれない自分を確立し、八正道に基づいた自然の条理を生活行為の中に生かすことによってひらかれていくものである。
私は、そのことを32年の歳月を経て初めて悟ったのである。
GLAが発足してすでに四年目の新春を迎えたが、一人でも多くの方が般若の心を悟られることを祈るものである。
この稿は、去る1月4日、東商ホールでGLA新春大講演会における講演の要旨である。

 

(一九七三年三月掲載分)

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