エコノミック・アニマル――。現代の経営者は、これに徹しないと淘汰されると思い込んでいる。このため、企業を巨大にし、自社の利益のためには手段を選ばないのである。競争相手があれば株を買い占め、乗っ取りを策す。それができなければ秘密を盗み、相手を出し抜いてゆく。需要者には新製品として、原価の何十倍かで売りつけ、そして、目先を変えて新製品を次々と売り出し、消費をあおってゆく。現代の物質経済の中身を見ると、こうした欲望を中心とした、そうして、心不在のコンピューター人間が続々と生まれ、現代社会を動かしていることを知るのである。
ベトナム戦は半年で終わると豪語したアメリカのかつての国防長官は、コンピューター人間の代表と言えるかも知れない。ところが、戦争は二年、三年と続き、アメリカの軍隊が何十万とベトナムに繰り出さなければ収拾がつかなくなってしまった。コンピューターではじいた計算と実戦では大きな狂いが生じてきたのである。しかも、この見通しがアメリカ経済を大きく揺り動かす導火線になろうとは、頭脳明晰をもって自他共に許したその代表選手も、知る由もなかったのである。
コンピューターという器械は、人間の頭脳から生まれた。人間の頭脳は、客観的にはコンピューターの働きと同じである。つまり、人間の頭脳は電算機なのである。電算機は確かに計算はうまい。知に調和する。しかし、応用問題が出てくると解けないのである。いうなれば、人間の心情を計算で解こうとしても解けないのである。ベトナム戦は、敵が分からない。ベトナム戦はアメリカの大国意識から出発した戦いである。戦場に赴く兵士の戦意も湧かないばかりか、現地人の心を掴むこともできなかったのである。戦いは北爆へとエスカレートし、泥沼と化していったわけである。
現代の経済社会が、欲望とコンピューターという、いわば我欲と知のみに頼っていると、やがて、アメリカがベトナム戦で負った傷跡以上の深傷を負うことになるだろう。事実、個々の企業が次第に行き詰まりを見せている。
企業の安定は、労使の協調と人間主体の経営に立ち戻ることである。それには、人間の目的と使命の自覚が先決である。間違えては困ることは、企業安定のために人間にかえれというのではなく、企業は人間生活をより豊かにするためにあるということを理解することである。物質の奴隷になると人間疎外が顕著になってくる。コンピュ ーター人間が幅を利かしてくる。これではいけない。まず、人間の心を理解することから始めなければならないのである。
(一九七二年三月号掲載)