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高橋信次先生講演
Lecture

釈迦の生誕から仏教の変遷(4)

(前号より)

 

守護霊に聞けばパラナッシーのミガダヤというところにいることがハッキリと判ってしまいます。中インドラジャグリハから西南の方向に向かって約300キロメートル入ったところにウルヴェラというところがございます。そこから400キロメートル離れているところです。心の中でちゃんと判ってしまいますからネランジャラ河をどんどん下っていきます。サラタプトラから更に西方に入ってきますとパラナッシーという都があります。そのはずれに彼らが修行所として定めたイシナパタといって仙人たちがいっぱい修行しているところがあります。ここは現代の仏教と同じように、釈迦の前世クレオ・パロータが説いたバラモンの経典であるヴェーダーやウパニッシャドという神理が存在しているのです。すでに2500年前、インドにおいてこのような道がハッキリと説かれていたのでありますが、時代とともに哲学化されてきたものであります。ゴーダマ・シッタルダーは小さい時からそのようなバラモンの先生について神理というものを学んでおります。ある程度のことは解っております。バラモンは、まず12才頃までは、日本でいえば寺子屋のようなところでヴェーダーという神理を教えられます。そうして12才から25、6才・30才頃までの間に家庭に入ります。更にまた、30才、40才を過ぎまして、自分の子どもが一定の年になりますと彼らは再び山の中に入り修行をします。このような人々をサマナーと呼んでいます。続いてサマナーを卒業し、遊行の旅に出る人をサロモンといっております。修行者ということです。

 

このように、ミガダヤというところにはバラモンを含めてあらゆる宗教家の人たちの修行所として多くの仙人たちが集まっております。その場所をゴーダマ・シッタルダーは即座に解ってしまい、彼らに会う前にコースタニアの心の中を読んでしまいます。「ゴーダマが来た。あの男が来ても、もうすでに王子でも師匠でもない。我々には関係がない。たとえ来ても足を濯ぐではないぞ。アサジ、解ったか」このようなことを言っていますが、全て心の中にビンビン響いて参ります。ゴーダマの姿を見ても、見ぬふりをして彼らはボソボソ話をしています。

 

44、5日もかかってパラナッシーの都を去り、ようやくミガダヤに着いた朝、彼らはゴーダマが来たということで早速予定の行動をしておりますが、筒抜けです。解ってしまいます。だから、ゴーダマ・シッタルダーはそれにかまわず彼らに近寄り「お前たちは今このように修行をしているけれども、それは無駄なことだ。そんなことをしていたら、私がかつて肉体的に不調和をきたして死んでしまおうと思ったあの時のように痩せ衰えた姿になってしまう。厳しい肉体行はやめるがよい。」と懇々と話をすると、いちばんかたくなな心を持っていたコースタニアが以前の師弟関係のときと同じように足を濯ぎ始め「シッタルダー様、あなたは顔色が前とはだいぶ異なっております。」といって、ゴーダマの足下にひれ伏してしまいます。

 

「その通り、私は40数日前にウルベラにおいてついに悟りを開き、ブッタになることを得た。お前たちの心はすみずみまで解ることができるのだ。」といいます。彼らはブッタの最初の弟子になっていきます。コースタニアはカピラ・ヴァーストでクシャトリアといいまして武士階級であり、彼はサムライ大将だったのです。他の4人よりは剛直な面が強かった。しかしブッタの言葉に素直になり、師弟の関係を結んでいくのです。5人はいずれもクシャトリアであり、弓や槍をよく使い、みな体は丈夫な人たちであり、シュット・ダーナー王(シッタルダーの父親)の命によってゴーダマ・シッタルダーを守るために出ている人たちです。しかも彼らは6年も出家同様の生活をし、生老病死の問題について悩んできていますから、ブッタの言葉に真剣にならざるを得なかったのです。

 

ブッタは言いました。4つの苦しみから解放される道は中道の道しかない。つまり、八正道の実践行為の中においてこそお前たちも悟ることができるのだ。といって教えている間に、コースタニアがまず自分自身がクレオ・パロータ時代において今、目の前に立っているゴーダマ・シッタルダーの前世においても共に同じ神理を聞いたということが解ってしまいます。心のテープ・レコーダーの窓が開かれたのです。続いてマハー・ナーマンも心の窓を開いてしまいます。バッテイヤも開いて、五人の人たちがついにアラハンという一つの境地に到達してしまったのです。

 

現在の私たちのグループの中にも、この神理を聞いて自ら心の窓を開き、あらゆる諸現象を自分自身で見出す力を持った人たちがだいぶ出ています。昨日も堺の講演におきましてわずか2回しか聞いていない学校の先生が心の窓を開いて、中国の時代の言葉を語り始めました。この中にもいるのです。 皆さん自身が心というものを知り、己自身が一切の執着を離れて調和された日々の生活をしている時に、皆さん自身の心のテープ・レコーダーは神の光によっておのずとひもとかれていくということであります。

 

インドの当時も心の窓を開いた人たちは多くの人々に道を説いていきます。六番目の弟子にヤサというのがいます。パラナッシーの大金持ちの一人息子で、女性問題で悩み、ガンガーの河に身投げしようとする時にゴーダマ・シッタルダーが通りかかります。「お前は今、死のうとしているけれども、そんなに若い身空で死ぬなどもってのほか、自殺は神が与えた大事な命を粗末に扱うもので、最も恐ろしい行為である。自殺すれば長い期間暗黒地獄に堕ち苦しまねばならぬ。心を静め、なぜ死のうとするのかよく考えてみよ……。」このようなことを懇々と説いた結果、ヤサはゴーダマ・シッタルダーの神理にふれ、やがてアラハンとして立派に立ち直っていきます。ヤサの周辺の人たちもゴーダマの弟子になっていきます。

 

人間というものは不思議なもので、自分が育ったところや修行した場所というものは懐かしいものです。ブッタはここにしばらく滞在すると、出家して最初の修行地であるマガダ国のラジャグリハに向かいます。ここの郊外にラジャグリハの王であるビンビサラという方がおります。年も同じです。出家して間もなくここに立ち寄ると、ビンビサラはこう言います。

 

「あなたも知っていると思うが、今の私はウルヴェラ・カシャパーといわれる立派な師について道に励んでいる。良かったらそのカシャパーを紹介してもよいが」

 

しかしゴーダマは、彼にあっても大した結果は得られないと思い、今日まで一度も会っていなかったのです。

しかし今度はそのカシャパーに会い、彼の修行の誤りを指摘し、過去世において神理を説いたことを理解してもらおうと思います。

 

カシャパーはガヤ・ダナというところで修行し、拝火教をやっております。木を井桁に組んで一心に祈りを捧げ、火の神を祀っております。その時たまたまお祭りの日だったのです。ゴーダマ・シッタルダーは一人で托鉢の碗を持ちながら山を登ってゆきます。泊まる場所がないために洞窟の中で寝ます。彼らはゴーダマ・シッタルダーという人間は知らないけれども、どうもこの野郎は胡散臭い野郎だ。顔を見ても普通の修行者とはどうも違う。当時のインドの行者たちは特にウパニッシャドという学問を習っており、屁理屈がうまいのです。そこでこれはバラモンを相当研究した人ではないかと見ています。ウルヴェラ・カシャパーはビンビサラ王から聞いていますから、なるべく遠ざかろうとします。

 

(次号に続く)

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