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高橋信次先生講演
Lecture

釈迦の生誕から仏教の変遷(5)

(前号より)

 

ところが、お祭りも終わった次の日、ブッタはウルヴェラ・カシャパーの心の中をみな読んでしまいます。「カシャパーよ、あなたの心はこのように燃えている火であって、これでは正しく物を見ることはできない。あなたたちの組織もまた同じように燃えている。宇宙の仏というものは大自然を育て生かしているものであって、火のように燃えるものではない。人間の心が燃えていては正しい判断ができないばかりか自然の心を知ることさえできない。」と説きます。彼はブッタの説法に初めて目が覚め、970人近くの弟子と共にゴーダマ・シッタルダーに帰依してしまいます。

 

昨日、大阪で心を開いた方は当時のナンディヤ・カシャパーという二番目の弟です。このナンディヤ・カシャパーとクナンダ・カシャパー、この人たちも帰依しますが、兄貴の姿が見えないので、山賊に殺されたのではないだろうかと心配します。川から流れてきた祭壇を見て、ウルヴェラ・カシャパーは殺されたのだと判断しますが、村の人たちに聞くと、修行者と一緒に山を下り、ラジャグリハの方へ行かれると言っていたと聞きます。2人は兄貴に会い、事情を聞き、兄弟三人とも帰依してしまいます。

 

ビンビサラの親戚のガランダといわれる方は、ベル・ヴェナーという丁度ラジャグリハの南、約二キロメートルばかり行った山の間に竹の林がありますが、その竹の林に法座を設けた建物を造ります。これがべル・ヴェナー、日本語で申しますと竹林精舎といいます。こうしてブッタの教団は次第に大きくなってゆきます。そうして神理のあり方、人の道、人間は心なりというその神理を説いて執着の苦しみから人々を解放してゆきます。45年間、中インドを中心にしてあらゆる国々にブッタの神理が広まっていきます。

 

やがてクシナガラの地においてゴーダマ・シッタルダーは81才、この世を去ろうとする時にブッタの陰のように慕い、身の回りの世話をしてきた秘書のアーナンダが問います。「ゴーダマ様、あなた様がこの世を去ってしまったら、私たちはどのように道を説いたらよいのでしょう」「アーナンダよ、お前はそのようなことを言うのではない。お前たちは45年間、わしと共に悟りへの道、ブッタ・ストラーの神理を学んだはずだ。お前の心の中にわしのこの神理があるということを知りなさい。私を思えば、お前たちの心の中に私はいるのだ。人間というものはいつどのようになるかも知れないが、しかし、お前たちは自分自身の心の偉大さを知るために、道を怠ってはならない。」

 

また、ブッタは永遠の輪廻転生を説くのです。

「西の方へ太陽が沈めば暗くなってしまうが、また明日になれば同じ太陽が東から出て明るくなるように、わしもまたそのようになろう。やがて、後の500才後においてその道を説く時は、ジャブ・ドーバー(日本)ケントマティー(都)の国に出るのだ。その時には今のように汚い足を濯ぐことなく、道も美しく、道路の周辺には立派な建物ができており、それはルビーやダイヤモンドで造られていることであろう。この時にそのジャブ・ドーバーの都では、すでに仏教(ブッタ・ストラー)は形式化され、末法の時代になっているであろう。」と多くの弟子たちに教えます。たまたま亡くなるしばらく前に1人の年老いた老人(シュパリダ)が参ります。この方は今、心の窓を開いて本日ここに来ていますが、当時、私たちはマガダ語という言葉をしゃべっていました。この方は当時は117才近くの老齢でございます。自分自身が足もこのように痩せ衰えて、すでに相当な年令のために杖をついて参ります。しかし、ゴーダマ・シッタルダーは、その時にこの方の前世シュパリダが何を考えているか解ります。

 

「最後の弟子が来た。アーナンダ、わしの枕辺に連れてくるがよかろう。」その時、シュパリダはこのように問うてきます。「ゴーダマ様、本当の神理はどのようなものか、インドには多くの修行者がいて、我こそは本物だ。我こそはブッタといっているけれども、神理というものはどのようなものか教えて欲しい。」シュパリダはあらゆるところの門を叩き、117才になるまでその神理を本物であるかないかを探し求めて、死の直前にブッタに会うことができたのです。その時にゴーダマ・シッタルダーは真に人間自身の生老病死の苦しみの原因を断ち、八正道の実践を生活行為の中に生かしている者こそ真の正道者であるということを説いたのであります。その時、彼はついに自分の考えていることと同じであると悟ったのです。

 

「ゴーダマ様の涅槃に入るところを私は見るに忍びません。ひと足お先に失礼します。」と言って、117才の老齢をそのままバタンとそこに倒れて、この世を去ってしまいました。

このシュパリダという人は、長い年月バラモンやあらゆる宗教を学んできておりますために、当時本当の悟りへの境地ということは知らなかったそうです。彼はついに117才、最後の土壇場において神理を己自身が知って息を引き取ってゆきます。そのために、続いてこの方は中国に二世紀に生まれて、神理を説きました。

 

(I氏が過去を語る)「……この大河の氾濫に遭い、私は両親にはぐれました。そして出家をし、仏の道を探究したのでございます。そして、広い中国を隅から隅までいろいろと旅をいたしました。そして、阿弥陀浄土、今の言葉でいいますと、西方浄土に、人々はこの世を終えた後、善いことをした人はそこに生まれ変わり、悪いことをした人は地獄という光のない世界に行かなければならない。人々はたとえどのように環境が苦しかろうと、どのように辛かろうと、心は常に明るい希望を持って生きてゆかなければならないということを人々に説いたのでございます。当時の名前はテンシンと申します……。」

 

このように人間の生命というものは、あらゆる国々を転生輪廻し続けています。45年間にわたってブッタが説かれた神理は中国に渡り、だんだんと仏教というものが儒教の影響を受けて非常に哲学化されてゆきます。インドの当時に説いたその神理は、方便というものを通して説明したのです。

 

(次号に続く)

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