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高橋信次先生講演
Lecture

釈迦の生誕から仏教の変遷(6)

(前号より)

 

皆さまは南無妙法蓮華経を唱えている。その根本も、最初は天台山において天台智顗が、法蓮華僧伽呪として説いたのです。法とは仏の心、仏の意思、神理。蓮華とは、汚い泥沼の中においても美しい蓮の花が咲くように、人間の肉体というものは、目を見れば目糞、鼻からは鼻糞、耳糞、汗、ひとつとしてきれいなものは出ない。

しかし、心というものは宇宙の神理を知って日々の生活をしていたならば、あの美しい蓮の花と同じように、安らぎのある境涯を送ることができるのだ、このように説いたのが法華経の根本です。

特に、天台山においてはゴーダマ・シッタルダーの分身、陳という少年が十七才、また同じような運命にさらされます。戦に敗れて父親や母親や兄弟たちとバラバラにされ、十七歳の時に陳少年は当時の蓬莱山というところにおられた南岳慧思という僧侶の下で修行するようになります。南岳慧思といわれる僧侶は法華経を学び、それも夜、眠っている時に弥勒菩薩が枕辺に来てその神理を説いていきます。

陳少年は後の天台智顗という人です。約二十年間慧思の下で修行し、陳少年の兄が天台山というところは非常に見晴らしも良いし、お前はひとつ天台山へ引っ越して来ないかと言われ、天台山に入り、仏教の道を説いていきます。天台智顗は、人の心は一念三千であり、本来誰しも広く大きな心を持っているが、一念の思うこと考えることによって、善にも悪にもつながり、悪を思えば小さくなってしまう。大きな豊かな心を持つためには止観によって心の針を正さなければならないということを説きます。 魔訶止観はこうして生まれ、そうして人間の在り方ということを次々説いてゆきますが、次第に哲学化され解らなくなって参ります。その当時、天台山の僧侶であった方がここに二人おられます。その方にちょっと当時の模様を聞いてみましょう。 (NGが、まずチベットの経文の一節を唱え、続いて当時の模様を語る) 「私は高橋武様の過去世であるチコータとは朋友でございます。共にチベットにおいてラマ教を学びましたが、中国の天台山に陳様と申される高層がおられることを知り、共に入国し法華経を学びました。今私が唱えました経文はチベットにおいて唱えた経文です。それでは法華経に帰依してからの経文を唱えさせていただきます。」(経文を唱える) これが五世紀から六世紀にかけての法華経です。続いて八世紀に日本からは比叡山延暦寺を造りました伝教大師最澄が留学され、天台山においてその神理を学び日本に持って帰ります。このようにして比叡山延暦寺で説かれたその神理は妙法蓮華経と日本的に変えられてゆきます。 続いて十三世紀に入って日蓮はさらに南無という言葉をつけ、南無妙法蓮華経という形に変わってゆきます。こうしてだんだんと他力本願に変わり、お経はあげることに功徳があるという間違った考え方になっていったのです。 私たちはお経の意味も、またインドの時代に説いたその神理というものも、人間というものの偉大さ、神の子として仏の子としての偉大なる己自身の心を悟るということ、その中に己自身が神の子として偉大なる仏智をひもとき、転生輪廻の永遠の生命を悟って、人間らしい調和された世界をつくるというのが本来の仏教の根本的な意味です。 私たちはこのようなことを知った時、皆さまの心の中には神の子として偉大なるあらゆる国々を転生輪廻してきたところの仏智というものが存在しているのです。その仏智は皆さま自身の潜在されているところの九〇パーセントの意識の中に隠されており、それを具現し永遠の生命の中の今の修行に自覚を持たれることが大事なのです。 それには、まず人間は足ることを知ることです。私たちの現代社会は人間のつくり出したるところの物質文明の奴隷に変わっております。お互いに歴史の中につくりあげられた資本主義、社会主義においてもその根本は物質経済であり、相争いながら文明社会が発達するという不調和な理論を生んでしまいました。いかに皆さま自身に財産があろうとも、地位があろうとも、この世を去る時には、皆さまは自分の愛する妻も子供もすべておいていかなければならないのです。金を持っていくことは出来ません。物質文明経済というものはただの生活の知恵であり、魂修行の手段にしか過ぎないことを自覚しなければならないのです。足ることを知り、与えられた環境の中で正しく仕事をし、一心不乱に実践行為しつつ、一日一日の心の中に、恨み、妬み、謗りの心がなかったか、あるいは心の中に思わなかったか、あるいは行動をしなかったか、一つひとつ皆さま自身の心の調和度というものを、布団の上でもよいから静かに反省し、心というものを磨いていってご覧なさい。 皆さまの心は、怒り、妬み、謗り、自己保存、自分の立場ばかり考えていると、一念三千といって、悪の一念の心は悪の世界に通じ、広い心をますます小さく狭いものにしてゆきます。私たちは恨めば恨む世界に、あるいは慈悲を与えれば慈悲の世界に通ずることを知るべきです。一念三千の心を常に平和と安らぎの人々に対して慈悲を与え、愛を与える生活をするならば、皆さまの心の針は常に光の世界に通じ、真の安らぎある皆さま自身をつくりあげていきます。病気や色々な悩み、苦しみ、このような心を持っている時は地獄の世界に通じ、心は不安と動揺を繰り返すことになります。 このように、一念三千の心を神理に添って常に調和された日々の生活をし、光の世界に常に心の針を向けた行いをする時に、皆さま自身の心の中には神の光が燦然と入ってきます。太陽の熱・光のエネルギーは、地位、名誉、経済、学識とはまったく関係なくすべて平等に与えられているのです。神の光も万生万物にみな平等に与えられているのです。この神の偉大なる慈悲と愛の光を受けとめないのは、皆さま自身の心の中の恨み、妬み、謗り、自己保存という暗い想念が曇りをつくってしまうからです。この曇りを皆さま自身はつくらないことです。皆さまはそのことをよく知り、常に自分自身を正道の道を通して日々の生活をし、夫婦は円満に、調和された日々の生活をすることが人類に課せられた目的であり、使命です。 (次号に続く)

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