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時の言葉
Word at time

2022年10月 祈り

あの世、実在界(天上界)では、祈りという想念はありません。なぜないかといえば、行為が祈りとなっているからです。言うなれば、現実の生活と理想とが一つにとけあっているからです。調和されているからです。

 

ところが、人間が肉体を持ち、地上の生活をする段になりますと、現実と理想のくいちがいが、毎日の生活の場において出て参ります。このために、肉体を持った人間は、どうしても祈らずにはいられぬように出来ております。一つには、地上の人間は10%の意識で生活し、天上界は90%の意識で毎日を送るための違いといってもいい訳です。一寸先が闇ですから、祈る心が湧くのも当然であります。さてそこで、その必要性があるのかどうかです。これは大いにあります。

 

祈る自分は10%の意識です。祈られる相手は、自分の守り続けている守護霊であり、指導霊でもあります。

想えば想われるで、守護・指導霊に対して絶えず心を向けていれば、守護・指導霊は守りやすく、指導しやすくなります。守りやすく、指導しやすくなれば、10%の意識で生活する地上の人間にとって、祈りは欠くことのできない重要な行為の一つとなります。

 

次に、祈りの効果です。これは重要です。

祈りの本質は、10%の表面意識が、守護・指導霊の住む己の90%の潜在意識に投げかける光の架け橋です。守護・指導霊は、常に10%の意識で修行する現象界の人間に対して、道を外さぬように見守り、指導していますので、10%の意識が想いを向ければ、いつでも手を貸し(光の架け橋)てくれるのです。

 

ただ、問題はその祈りが自己保存のためか、調和のためであるかによって大きな差が出てくるのです。普通は、誰しも病気や家庭不和、事業不振が出てこないと祈る気持ちは湧いてこないようです。ですから、最初はそれも仕方がありません。しかし、本当の祈りというものは、現実的な幸、不幸ではなく、現在生かされている、それ自体に感謝することであり、その感謝の想いで日々の生活を行じることが大切です。

 

人間は、生かされ生きてゆくものです。だが、調和の心で生きてゆく、という自覚が出たときは、感謝の気持ちが報恩の行為となってきます。言うなれば、10%の意識と90%の意識が同通したことを意味します。このときこそ人は真の安らぎを得、環境も、健康も整い、天命のままに生きることになります。

 

天命に生きるということは、自分が地上に生まれてきた目的、使命がわかり、それに向かって生き続けることをいうのです。 私たちの祈りも、ここまで高めたいものです。

 

(一九八六年五月掲載分)

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