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高橋信次先生講演
Lecture

神理正法について(8)

(前号より)

 

調和された神理を通して小説を書いているならいいけれども、自分自身がその小説の小さな枠の中に入って、自分自体をだんだんと小さく持ってしまいます。しかしその一方で、少し名前が売れてくると増長慢になりやすいのです。その自信を人からプシュッと押さえられると、自分を閉ざしてしまいます。ノーメル賞かノーベル賞か知らないけれど、そういうものを貰ってくると、自分自身というものの心の中に、やはり増長慢になったり自信喪失になる。

人間というものは、人生、美学もいいけれど、心を失ってしまっているために、いい歳をして色々な所へ遊びに行ったり、自分の家族というものを不調和に陥れても、世界の人類はノーベル賞をくれるのです。そういう人たちが偉大な人たちになるのです。文化勲章を貰えるんです。自分自身の心すら失っている人たちが、社会的には立派になるのです。

市ヶ谷の自衛隊も、あの講堂で多くの人々にアジ宣伝をして腹を切るような場面も他人に見せるのです。そういうような人々が正しいとは言い難いのです。この世で見たならば、なるほど立派かも知らん。あんな事をやらかしたら、戦争前ならば大変だったでしょう。しかし我々は正しく、感情にものを走らせていってはならないのです。

正しく冷静にものを判断した時に、そのような心の人々というのは、本当に地獄界の厳しい環境の中で生活をしているのです。人間のただ映るところの判断でものを見てはなりません。このようにして自分自身の自己というものが小さくなって自信を失う。極端というものが、自分自身がそういう文学というものを通してやっているから、世間の眼はそのようには見えません。肉体は衰え、生活が色々の面において不調和をきたす。形だけを追い求めようとして自分を飾ります。しかし、体がいうことを利かなくなるからペンも思うように走らない。心がうわずっているから夜も眠られない。ついには睡眠薬のやっかいになっていく。自分をだんだん失ってしまえば、人間はこのように不調和な原因をつくってしまうのです。

世の中には、経済的に不調和な場所に生まれてしまうと、つい私たちの多くは不調和な心を持ってしまいます。人間はいかに経済力がなかろうとも金がなかろうとも、心だけでも豊かにすることが大事なのです。金がいかにあろうとも足ることを忘れた人々は貧乏人なのです。心貧しい人たちというのです。外見的な物質や経済力によって、その人の価値が決まるものではないということを知ることが大事です。我々の心はこのように一念三千。常に多くの人々の中にも、こういう不調和な状態を通して人間の心というものは変化を起こしていきます。

世の中には、躁鬱病というのがあります。これらはすべて心の病気です。心というものの気が違うのです。本来、中道の道を歩んでいれば、そういうことはありません。鬱病にしても躁病にしても、この原因をつくるのは自己、自分自身が育てられたその環境に大きく影響します。昭和21、2年から27年までの間は戦乱期です。戦後においての混乱期です。
親が、自分の出来なかった事を子どもに託して希望をかけます。そのために自分が味わった苦しみを子どもにはさせたくない、というものの考え方、しかも自由をはき違えてしまって、世の中は益々そういう混乱期に生まれた子どもだけに大事に育ってしまいます。

(次号に続く)

この稿は、昭和47年6月11日、関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたものです。     〈文責=編集部〉

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