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時の言葉
Word at time

2023年9月 勇気

人から八正道は難しい、反省すると自分の醜悪さが浮かび出て、我ながら自分に愛想がつきる。所詮、自分は八正道の一つも実行できないし、挫折感のみが襲ってくるとよく言われる。
私も最初はそうだった。人のことより自分を中心にものを考え、行動してきた。しかし私は、自分を捨てることによって苦楽の淵から離れることが出来た。
難しいとか挫折感は性急な心がそうさせるのだし、それは自分というものが心の中にドッカと腰をすえているためであり、そうした自分が少しでもなくなってくると、次第に心が軽くなるものである。
偽我の自分を少しでもなくすためには、正道の中身を理解し、実践してみることだ。そうすると、ものの見方、考え方、行動が八正道に適ったそれになってくる。

 

八正道はまず反省から始まるが、反省の仕方は客観的立場から自分をながめ、相手を見ることである。そうして、自分の欠点が浮き彫りにされるようでなければ駄目なのだ。自分に愛想がつきて、そこで自分を捨てた時に神の光が入ってくる。ところが、ここでなかなか自分が捨てられない。六根から抜けられないのだ。そこで私は、勇気を持って努力しなさいと言っている。

 

さてそこで、勇気はどうすれば出るか。
仕事や遊びでもいい、夢中になっている時は疲れを覚えないものである。用が済んで、ヤレヤレと思った時に疲れが押し寄せる。
よく引き合いに出る話だが、普段は弱い女性が火事で子どもが家に閉じこめられた時、その女性は我を忘れて火炎の中に飛び込み、焼死寸前の我が子を救ったという。夫は家の外でオロオロするばかりで肝心要な時に何も出来なかったというのである。
この話はいろいろな意味が含まれているが、こうした勇気はどこから生まれたか。この時のこの女性にアレコレ考える自分はいなかった。あるのはただ、我が子を救うという一念だけだった。子どもを救って自分の為した行為に自分でも仰天したというわけだが、真性の自分に返った時は誰しもこうした行為、勇気が出るものである。
勇気は虚勢や見栄、外聞を気にしている時は生まれない。偽我のない裸の自分に立ち返った時に、自然発生的に表出されるものだ。また、勇気ある行為は客観的なもので、自分では気付かないものである。

 

(一九七三年十二月掲載分)

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