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高橋信次先生講演
Lecture

現代宗教に対する疑問(3)

(前号より)

 

この船頭さんこそ皆さまの心であり魂なのです。それを両親が魂までくれたと思っている人たちが多いのです。もし両親が肉体以外に魂までくれたとしたならば、なぜ子供は親のいうことを聞かないのでしょうか。私たちは長い転生輪廻の中にそれぞれが縁というものによって、あの世で皆さまは友だちであり兄弟であったり、お互いに約束をして出てくるのです。
しかし私たちはこの地球上という場に出て肉体という舟に乗ってしまうと、わずか10パーセントしか意識は表面に出ていません。これについて一つの氷を主体に考えてみましょう。
水面に浮かんだ氷の部分は約10パーセント、90パーセントは水面下にありますね。この現象は氷ばかりではなく、鉄であっても銀であっても同じです。皆さまも今この地球上という場にその意識の10パーセントしか出ていないのです。私たちの住んでいるこの世は、あたかも実在界から投影された現象界でありますが、それはちょうど氷の表面に出ている10パーセントと、沈んでいる90パーセントと全く同じことなのです。
このために、あの世とこの世は紙一重の違いだけと言えます。皆さまはすぐにでもあの世に行くことができます。こうした意味で、この世とあの世は全く一体となっているのです。そうしてあの世でも地獄界というのはこの地上に近い状態の環境といえます。
地獄界という環境、その環境から天上界へとたくさん段階があります。それは皆さまの心が、先ほど調和の生活といいましたが、神理の中道の道を毎日の生活の心と行いに活かした時に、皆さまの心は神の光に包まれ安らぎの生活が生まれてきます。その安らぎは心の調和度、すなわち光の量によって違い、あの世の段階を決めているということです。私たちは皆さまの心の状態を語ってみることができます。そうしてこの形の歪みの起こっている人が、その人の欠点であり、心の調和度に関係してくるわけです。

 

皆さまは心は丸く、大きくという話を聞いたでしょう。そのとおり、心というものはあたかも、風船玉のように広く大きく丸い心、この心の中を断ち切ってみますと、まず神より与えられている本能というものがあります。さらに知性という領域があります。理性という領域があります。感情という領域があります。そして一番中心に想念という領域があります。心の中で私たちが思うこと、考えること、つまり想念というものがすべて中心になっているということです。
私たちは肉体舟の眼・耳・鼻・舌・身を通してこの眼で見たものが視覚神経、鼻でかいだものが臭覚神経、このような神経を通して大脳の中の神経繊維に電気的振動が起こります。この電気的振動がそくざに想念に伝達されます。想念に伝達されたものが自分の本能や感情、あるいはまた知性や理性の変化によって心の全体の領域が変わってくるのです。例えば私たちがものを耳で聞きます。
自分のつごうの悪いことを言われた場合に、そくざにスーッと想念に入ってきます。想念はそくざに感情に出て参ります。この感情に出た時に感情の領域の部分がプーッとふくらんでゆきます。すると理性は引っ込んでしまいます。こういう状態は想念に曇りを作ってしまい神の光をさえぎります。あたかも地球の曇りが太陽の熱光を覆ってしまうように私たちの心の想念の曇りはここから発生して神の光をさえぎるのです。神の光は万生万物にみな平等に与えられているのです。取らないのは自分自身の想念と行為なのです。

 

こう考えてきますと皆さまは、神は罰を与えないということが判ると思います。私たちは感情だけで物を判断して果たして正しく解答を得ることができるでしょうか  できません。そもそも私たちのこの地球上に出てきた目的というものは調和にあります。水面に石を投げたところでその石の波は大きく広がっていくけれども、やがて調和された滑らかな平面にもどります。大東亜戦争によって四年間の不調和な大きな犠牲を払って闘争をくり返したけれども、その後三十年間はあのいまわしい戦争がありません。戦争がないだけ、ある意味では調和されているでしょう。

 

(次号に続く)

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