(前号より)
それを考えるなら、この地上界における物質経済は人間の生きるための手段にしかならないはずです。それにもかかわらず、私たちはその手段に惑わされて、物質文明の奴隷となってしまっているのです。足ることを忘れさり、欲望のままに生きる人々の心は、やがて苦しみを生んで行くことでしょう。このようにして本当の道を知り、足ることを知ったなら、正しいものの判断というものが生れてくるはずです。
宗教的な面を通して考えてみますと、仏教そのものも非常に難しく変わっています。お彼岸というものがありますが、私たちはそのときに先祖のお墓まいりやお寺まいりをします。この地上界に肉体舟をいただいた先祖に対し感謝をするというのは当然であり、大切なことですが、本当の意味での先祖供養というのはどういうものなのかということをよく考えてみなければなりません。
まず、私たち自身が調和された豊かな心を持つと同時に、健康な身体と平和な家庭を作ること、この三つのものを調和させることこそが本当の先祖供養といえるのではないでしょうか。しかし、長い時の経過の中で、先祖にお経をあげ、線香や灯明をあげることが先祖供養であり、お彼岸であるというように間違って考えられるようになってしまいました。本当の信仰というものは、そのようなものではありません。私たち自身の心が不調和で、家庭も安定を欠き、肉体的条件も調和されていないような状態であったとしたなら、そのようなことで本当の先祖供養ができるでしょうか。
私たちの子供たちが健康で、平和で、朗らかに生活していれば、その子は本当にいい子だ、親孝行だと思うでしょう。しかし、たとえ健康であったにしても、精神的に不調和で社会の人々に迷惑をかけるような子供だった場合、なんと思われるでしょうか。同じように、私たちの先祖もまた、子孫が平和に暮らしていることを一番喜ぶのではないでしょうか。
私たちは今や旧来の陋習を破り、正しい生き方を探る必要があります。なぜなら人間はこの地上界に生を受けると、その意識の90%は潜在してしまい、わずかに10%が表面に残るのみです。そのために多くの人々が、目先のことにとらわれ、正しいという心の基準を失ってしまうのです。現代の世相を見るならば、自分に都合のいいことのみを正しいとし、不都合なことは悪いとしています。それは思想においても同じようなことが言えます。
では、本当に正しいというのはどのようなもののことを言うのでしょうか。それは、偏らない中道ということです。大自然の姿、自然のバランスを見てもわかると思います。太陽のエネルギーを考えてみて下さい。1秒間に2百万トンの石炭を一度に燃やしただけの熱量を、地上に無償で提供しています。その熱量がもし、今より高かったならどのようになるでしょうか。北極や南極の氷は溶け、私たちは生存できなくなることでしょう。この大気の温度が私たちの肉体と調和しているからこそ、すべてが安定しているはずです。
また、地表の71%を占める海洋や河川、湖沼といった水圏に属する水も、蒸発しては地上に慈雨となって降りそそぎ、地上の動植物を生かしています。植物はその根から水や他の養分を吸収し、葉から二酸化炭素を取りこんで、光合成によって澱粉や糖分を作り、草食動物の血や肉となります。動物もまた、その排泄物によって植物を生かしているのです。
すべては、そのように循環の中に息づいています。こうした自然界の調和された環境の中にあってはじめて、私たちは肉体を保存することが可能となるのです。この自然の姿こそ神の心の現われと言わずしてなんと言い得るでしょうか。
私たち三十数億の人類は、地球という大きな宇宙船に乗って大宇宙の中を飛んでいるのです。地球のみならず、太陽や他の惑星のすべてが大自然のルールに従って寸分違うことなく輪廻を続けています。私たちがこのようにしている今も、地球は1秒間に太陽の回りを30キロのスピードで、また太陽系は、数多くの惑星を従えながら銀河系宇宙の中を秒速20キロもの速さで飛んでいるのです。このような中にあって、人類のみが、いたずらに闘争と破壊を繰り返していてよいものでしょうか。
人間は本来、皆平等なのです。太陽の熱や光のエネルギーが貧富の別なく平等に分け与えられているように、人類は皆平等で自由でなければならないのです。
苦しみは、生命をこの世限りと思い、肉体にとらわれ、自分中心の欲望によってふり回される中から生じてきます。しかし、好むと好まざるとにかかわらず私たちの生命は永遠のものなのです。一人一人がもう一度、自分というものをしっかりと見直し、心の偉大性を知っていただきたいと思うのです。暗中模索の中から、自らの心の中に法灯をともしていただきたいのです。そのときに、自らの人生がいかに重大なものであり、生活の中でいかに自分を厳しく律していかなければならないかということがわかっていただけることと思います。善なる心に従って生きていただけることを心より祈っております。
(昭和四十九年春、大阪でのご講演を要約したものです)













