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高橋信次先生講演
Lecture

神理正法について(1)

神理正法という問題は、人間の力によって変えることのできないものです。我々は、現代のような末法の社会になってしまいますと、正しいという基準すらわからなくなってしまいます。

 

心というものの正しい基準、これがわからないために現代社会の混乱があるのです。人間が本来この地上界に生まれてきたところの目的と使命というものを、真に心に銘記しているとしたならば、恐らく現代のような混乱した社会は訪れてこないのです。
過日も、私はたまたま学校の講義をやっていますので、その子供たちが私たちは何のために勉強しなくてはならないのだろうか。難しい物理や数学や英語を何のために学ばなければならないのだろうかという大きな疑問にぶつかっているのを知っています。ある大学の学長も、「現代社会におけるところの大きな不調和な問題がどこに原因があるかわからない。」このように言っています。
これがあくまでも私たちの物の考え方がすべて物質と経済というものだけに集約されているためなのです。物質文明、我々の生活は豊かになってきましたが、しかし、何か私たちの心の中には満ち足りないものがあります。その満ち足りないところの何物かという問題についてですが、私たちはわからなくなってしまいました。金さえあれば人間は幸せになるのだ、金さえあればといって金が貯まった時にはどのようになってしまうのでしょう。

 

私の友達の多くの中には、経済的に恵まれている人もいます。貧乏している時は家庭が平和でありました。経済的な基盤が出来て、余裕が出来てくると同時に、家庭の中はとうに不調和を起こして混乱に陥っています。人間というものは果たして、そのような経済的に恵まれただけで幸せになるのでしょうか。

 

私はあらゆるこういう問題を通して、信仰という問題があるのではないかという結論に達したのです。ところが、その信仰というものに関しても、私たちはその中から本当の幸せというものを得ることは出来ませんでした。永い歴史の中に習慣づけられた、私たちの周辺を巡るところの信仰というものが、あるものは人間の造った神さん、あるいは曼陀羅、仏像、こういうものを祈ることが信仰のごとく、しかもまた、その祈る言葉そのもの、お経というものの内容自身をほとんどの人がわからず、お経というものをあげれば私たちは一時なりとも心の安らぎを得られるのだと、そうなってきますと、もはや宗教というものは阿片です。宗教は阿片になってしまいました。宗教は阿片というのは、中国では阿片戦争というのがありました。自分が吸っているうちに脳細胞まで侵されてしまい、幻覚症状が起こってきます。最後は自分自身の肉体保存すら出来ないような廃人に変わってしまいます。

 

私たちが正しいという根本原則がわからないために、仏壇やあるいは神社仏閣に手を合わせて拝んでいるうちはまだいい。それが熱中してきますと、皆さん自身の肉体以外に何物かが不調和な現象を起こしてきます。そのために私たちは信仰すればするほど疑問が出てきます。その疑問がわからない、ところが特定の宗教家たちはバチが当たる。信仰しないとバチが当たる。信仰しない人にバチが当たらないで一生懸命に神様を信仰している人たちに何故バチが当たるのでしょう。こういう矛盾に突き当たるのです。

 

しかし、人間の心の中には想念という領域があります。この想念の領域がある以上、思えばすべての現象が起こってきます。このように私たちの想念は、物をつくり出す能力を持っています。それも正しいという基準がわからないために、習慣的な信仰というものの中に自分の心も身も落とし込んで、本当の自分を見失っているために、なかなかその泥沼の中から自分自身が抜け出すことが出来なくなってしまいます。

 

(次号に続く)

この稿は、昭和47年6月11日、関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたものです。     〈文責=編集部〉

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