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高橋信次先生講演
Lecture

神理正法について(5)

(前号より)

 

二千五百有余年前のインドにおいては、もっと厳しい、一番上にはバラモン族というのが支配しております。その下にはクシャトリヤ(武士階級)、日本よりかまだ進歩的だと思います。日本は武士が一番上、争い破壊する不調和な、心を持っている人が一番上、士農工商です。農業をやっている人の方がまだよっぽど純粋で、自然と毎日の生活が合っているからです。

 

インドの時代は逆、バラモンという宗教、心の面というものを中心にしたものが上にあります。その下にクシャトリヤ、その下にベッシャー、こういう方は商工業、その下にシュドラーという奴隷階級があります。これはどこの国にいっても封建社会が生まれてまいりますと、人間の差別というものを厳しくして、権力者は自分の座を確保しようとするのです。人間は生まれた時はみな裸なのに、それが生まれてきたその環境によって人間の価値が決まってしまうということは、誠にこれは不合理なものなのです。

 

しかし、そういう社会において、いつも底辺の中で自分の生活に苦しみ、人生というものに対する疑問を持ちながらこの世を去ってしまう。こういう問題に対して、オーギストコントは非常に疑問を持ち始める。初めてここに社会有機体説というものを考え出します。続いて、一八二○年にはイギリスにハーバート・スペンサーという人が出まして、その後の問題を解いていきます。物質的ものの考え方に対して、世の中というものは一部分の権力やあるいは経済力によって不平等な社会を構成している。こんなものであってはならない。実証哲学というものを世の中に発表していきます。

 

ドイツでは、カール・マルクスといわれる方がヘーゲルの後を継いで、初めてこのような世の中で宗教は阿片である、人間は物を物として考えなければならない。物は物だと、物質的見地、物質がすべてである。このような物を物として、物の判断というものに立っていきます。しょせん社会というものは、権力あるいはまた資本力と、底辺の人たちは団結によって争いながら文明は発達しているのだというような新しい学説が現代社会を二分しているのです。資本主義とマルクス主義というものは、このようにして相対的に出来上がったのです。

 

資本主義に対して、あのものの考え方はイカン。世の中という者は常に上層部、上の人と下の人が、下の人は団結をしてお互いに争って文明は発展していくんだ。このようなものの考え方、というものも、人間自身の生活環境の想念がそれぞれの環境によってつくり出してきているのです。しかし、その根本にあるものは一体何か、物質と経済しかないのです。心なんていうものがどこにあるでしょう。そこで、心を根本として説いているところの真理というものを、長い歴史を通して人々は拝むものになってしまった。習慣になってしまったのです。我々はこのような両極端のものがお互いにぶつかり合っているうちに、人間はその中にだんだん不調和な社会というものに疑問を持ってまいります。人間のつくり出したこの経済というもの、これは人間の生活の知恵がつくり出したのです。流通機構というものを、いかにどのようにすればもっと便利になるか、この便利になるべく物質経済というものに、人間はいつの間にか奴隷になってしまったのです。

 

皆さんが生まれてくる時には、あの世は決して人間の経済的な地位とか、あるいは名誉、地位というものの変化によって決定されるものではありません。あの世から皆さんは出てくる時には、まず自分自身が「よし、今度はこのような場所で勉強をしよう。より豊かな心をつくろう」と、それぞれ自分が望んでその環境を選んで出てまいります。貧しい環境に出てしまうと、つい親を恨んだり、自分を恨んだりして、自分自身というものを見失って、心まで貧しくしてしまう。また、経済的に最も恵まれた環境に出てしまうと、その中で自分自身を優雅に過ごして、一生自分をメチャメチャにしてしまいます。経済や物質というものは、私たちの人生における魂を磨き、肉体を保全するための一つの道具にしかすぎないのです。何故なら、皆さんがこの世を去る時に、いかに莫大な財産を持っていたところで、あの世に持って帰ることは出来ないのです。もし出来るとしたならば、間違いなく、皆さまは余りにも重い荷物を持ったまま、それは執着という大きな抵抗を持ったまま地獄に墜ちていくのです。

 

そこで私は、正しいということは、このような資本主義を現存してもいいのです。社会主義も現存してもいいんですが、お互いに闘争と破壊の渦の中にいて、本当の平和はないということです。現にソビエト自身も、物を物として見るところのマルクス主義を信奉しているところの、あのロシアですら、何故イエス様の信仰体系であるところの教会がいっぱいあるのでしょうか。共産主義者ならないはずです。しかし、彼ら自身も自分自身の心というものをどうすることも出来ないのです。人間は、自分の権力やあるいは経済というものが周辺に渦巻いているために、自分自身の心というものの中に安らぎは得られません。そのために、我々はやはり他力的な真価なるものを祈ろうとしていきます。そこにまた、マルクス主義にも矛盾があるはずです。

 

資本主義においてもまた同じ、いつの間にかだんだん物価は上がって、人間自身がお互いに破壊と闘争を繰り返しているうちに、最近では一年に二回は定期便です。給料の値上げ、値上げして本当に幸せになったかというと、また次の欲望が出てまいります。足りなくなってしまいます。しかもまた、電車の運賃、バスの運賃、あらゆるものが値上がりしていきます。ここでお互いに人間自身が歩み寄らなければならない社会を、我々は考えなければならないのです。資本主義なら資本主義でもいいのです。働く環境を与えてくれたことに対して、まず私たちはこの中道という道を通して考えるならば、感謝することが大事なのではないでしょうか。

 

(次号に続く)

 

この稿は、昭和47年6月11日、関西本部定例講演会での内容をテープより書き起こしたものです。 〈文責=編集部〉

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